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改めまして


皆様こんにちは

秋田湯沢湯乃華芸妓の吉弥でございます。



この度、令和8年3月7日に「吉弥」を二代目として襲名させていただきました。


花柳界ではあまり例の無い、芸妓の襲名。
かつて湯沢市で名を馳せた、名妓の名跡と芸を絶やしてはいけない。その想いから今回の襲名となりました。




先代 吉弥について



先代の吉弥は五條流の踊りの名手・五條吉代としてもその名が知られていました。

当時を知るお客様のお話によると、先代はとにかく芸に厳しく、五條流のお家元にも匹敵するほどの方だったそうです。
ですが家元になるには東京へ移らなければならず、悩んだ末、地元の湯沢を選んだと伺いました。

先代がその時どのようなお気持ちでおられたのか、今となっては知る術もありません。
ですがそのお話を聞いた時、そこには並々ならぬ覚悟と決意があったのだろうと強く感じました。






「踊りの名手になろうね」



舞妓の頃、先代のお弟子さんに掛けていただいたお言葉。

この一言が巡り巡って今回の吉弥襲名に繋がるとは、当時の私は思ってもいませんでした。





いただいたご縁



今回の襲名のお話をいただいたのは、今から6〜7年ほど前のこと。
その時点ではいつ襲名するかは決まっておらず、時期は『私の努力次第』というものでした。

名前を継ぐ、ということは団体にとっても初めてのことだったので、当時はあまりピンときていなかったというのが正直なところです。
ですが、襲名するからには相当な努力が必要であること、そして生半可な気持ちでは継げないものであることは十分に理解していました。

一、二年で継げるものではない。
もしかしたら二十年後、三十年後になるかもしれない。

そう思う一方で、
「できたら若いうちに継ぎたい」
という貪欲な想いもありました。

そしてその時、私は心の中で
〇〇歳には襲名したい
という明確な目標を立てました。

今振り返っても、なぜその年齢を設定したのかは分かりません。ですが頭の中にふっと出てきたのが、その年齢でした。


そして月日が流れ、徐々に襲名の時期が明らかに。そこで私はあることに気がつきます。


そう、ちょうど目標としていた年齢での襲名でした。

誰に話していたわけでもありません。
それでもこうして形になったのは、代表を始め関係者の皆様、先代のご親族、芸妓のおねえさん方、そして応援して下さるお客様のおかげです。


そして明確な目標を持つことの大切さを実感した出来事でした。
(大谷翔平選手の人生設計シートと重なるところがあるかもしれません😂)





おわりに




ここまで来ることができたのは、これまで私を支えて下さった皆様のおかげです。
ひとりでは到底叶えられませんでした。


これからは先代と二人三脚です。

襲名の重みと責任を胸に、そして名前に置いて行かれないよう精進して参ります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


令和八年三月
秋田湯沢湯乃華芸妓  
二代目 吉弥



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