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数学、写真、スキーそして…帰ってきたねぶと|1920(大正9)年2月14日(土)|2月15日(日)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。  
仮名遣いは今の表記にしています。 読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。


🧭 この日のあらすじ

2月14日(土)
夜、銭湯に行く。
数学雑誌「考え方」の懸賞問題を解く。
写真を写す。スキーをする。
ねぶと(化膿性汗腺炎)が出来た。町医者に行く。

2月15日(日)
ねぶと、ますます痛い。


📅 日記本文

2月14日(土)
夜、湯ニ行ク。
考へ方ヲスル.
シャシンヲウツス。
スキーヲスル。
ねぶとが出来た。
大埜間に行く。

2月15日(日)
ねぶとますます痛し。


📌 背景メモ

この頃、飛騨地方ではスキーが広まり始めていました。
斐太中学校でスキー倶楽部を創立した体育科の幅長太先生は、この日記の5年後に教員を辞め、スキーをメインとしたスポーツ用品店を開いています。
日記に何気なく書かれた「スキー」ですが、実は地域の新しい風でもありました。

長尾量平『広告高山史』1971年刊
ちなみに文章中の「三太先生」の1人
掛水(垣水)寿太郎氏は、祖母の兄

💭 孫のつぶやき

祖父は運動が得意というわけではなかったけれど、テニスやスキーが好きだったそうです。
上手じゃないけど好き。
いいなあと思います。

そして写真。
学校での卒業写真でしょうか。それとも町の写真館でしょうか。
17歳、ちょっと大人びた顔で写っていたのかもしれません。

……が。

あいつが帰ってきました。
新年早々、1ヶ月以上祖父を苦しめた「ねぶと」(化膿性汗腺炎、腫れ物)です。

ようやく平和が戻ったと思っていたのに…

当時は、カタカナ=公文書。書いた時、フォーマルな気分だったのかな
北京で買った喜怒哀楽くん