1918年(大正7年)4月16日 川口孫治郎校長について
4月16日
川口校長、福岡県に転任せらる。
川口校長は去る大正四年十月丗日、戒能校長の後を受けて我が校に任せられてより、ここに二ヶ年五ヶ月あまり、中学のため飛騨のために尽くされたことは我等の考えの及ぶべきことでない。
飛騨の人々が中学は悪くなるもとであるないきになると言いしを、熱誠より出づる見識によりてようやく中学に重きを置くようにせられしも、先生の成されしことである。
また我々らに注意をし、警告などしてよく中学に来ている目的を知らしめられしも先生である。或いは裏山に松を植え、皇太子殿下の記念に杉を植え、または運動会に余興をせり、また寄付金をはいするなど数え来りてその尽きるを知らず。
嗚呼、今やその徳高き校長は上の令により転任せらるることとなった。余等は今分袂に際して惜別の感に堪えない。されどまた会える機会はあるのである。
※孫よりひとこと
川口校長とは、川口孫治郎という当時の鳥類研究の第一人者で、大変有能な方でした。祖父も慕っていたようです。
下記は著書「自然暦」の著者紹介より
川口孫治郎 : 明治6年、和歌山県有田郡生まれ。東京高等師範学校卒、京都帝国大学法学部卒。鳥類研究家、民俗学者。和歌山県、佐賀県、岐阜県、福岡県で教職に奉じ、名校長と謳われるなどその職務を全うする一方で、余暇を鳥類の生態観察とその記録に捧げた。晩年は、京都帝国大学理学部動物学教室嘱託として、調査旅行に専心したが、大正11年、北海道松前小島での調査中に発病、翌12年没
川口孫治郎氏について調べていましたら、Theopotamos (Kamikawa)様のnoteにたどり着きました。
引用のお許しをいただきました。↓こちらです。
