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シゴデキ母、100年を買う|1920(大正9)年3月27日(土)|

📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
翌年の再受験を見据え、母の実家近くの小学校で非正規の代用教員として働くことを決意します。
代用教員の採用に必要な履歴書と健康診断書を郡役所に提出しましたが、まだ返事はなく、健康診断の結果があまり良くなかったこともあって落ち着かない日々が続いています。

🧭 この日のあらすじ

朝は薪割り。
昨晩、土地購入の件で、母の実家、石松家の人がやって来た。
相談の末、祖父の家の裏の土地を1500円で購入することになった。
資金の一部は、京都にいる母の弟・石松清三郎叔父から借りる。


📅 日記本文

朝、はるきを割る。
石松の人、裏の地面につき昨夜来らる。
米袋を貼る。
蔵裏の地を買うるとなる(1500円位)
金は清三郎様に借りるため、手紙を書く。
午後、図書館に行く。


📌 背景メモ
はるき(春木)
まだ雪が残る春の山から切り出したばかりの木材のこと。
薪に使う。

裏の地面
祖父の家のほぼ真裏。当時は細い路地に面した畑でした。

1500円の価値
1920年の1500円は、消費者物価指数ベースで現在の約300万〜400万円ほど。
なかなか思い切った、良い判断だったのでは。

祖父の母という人
祖父の母は祖父が9歳の時に夫の先立たれ、今で言うシングルマザーでした。
金融業を営み、酢や麹を販売し、地主として小作人を抱え、借家の経営もしていました。
家を守るというより、家を「回している」人だったのだと思います。
気が強かったらしい、と私の母は言います。
けれど、その強さがなければ、これだけの商いを維持することはできなかったはずです。
今回購入した裏の土地も、その後祖父の母が家を建て、借家として貸し出しました。
途中、祖父の長女(私の母の姉)がこの家で新婚時代を過ごしたり、道路拡幅で狭くなったりしましたが、現在は駐車場として賃貸に出しています。
形を変えながら、100年以上働き続けている土地です。

清三郎様
石松清三郎。母の弟。
京都市工芸美術学校を卒業し、デザイン関係の仕事をしていました。
今回の資金の一部を貸してくれました。


💭 孫のつぶやき

祖父は薪を割り、図書館へ向かいました。
郡役所からはまだ何の連絡もなく、本当に代用教員として採用してもらえるのか不安な日々です。

その裏で祖父の母は1500円を動かしていました。
金融を回し、酢と麹を売り、土地を持ち、借家を経営し、息子の進路のために恩師や郡視学のもとへも足を運ぶ。
行動力の塊のような人、とてもかっこいいです。
あのとき買った土地は、借家になり、道路拡幅で削られ、いまは駐車場として賃貸に出しています。
祖父の母が動かした1500円は、106年後のいまも祖父の息子(私の叔父)が受け継ぎ、この場所で働き続けています。

そして、その駐車場の隣にある古民家は、イタリアンレストランになりました。
昨年帰省したときそこで食事をし、思い出の土地の近くで良い時間を過ごしました。
シゴデキ母(私のひいおばあちゃん)とも、この店で一緒に食事してみたかったな。

古民家イタリアンレストランのお料理

イタリアで修業されたシェフが地元の食材を使って作る
本格イタリアンでした
ナポリのCastel Nuovo