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ああ、強健なる体を作る方ありや|1920(大正9)年3月26日(金)|

📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
卒業はしましたが、師範学校の入学試験は不合格でした。
翌年の再受験を見据え、母の実家近くの小学校で非正規の代用教員として働くことを決めます。
郡役所に、採用に必要な履歴書と健康診断書を提出しましたが、健康診断はあまり良い結果ではありませんでした。
郡役所からの返事はまだありません。


🧭 この日のあらすじ

米の袋を貼り合わせる作業をしたり、数学をしたり。
夜は、母が購入を検討中の裏の土地を見に、母の実家である石松家の人が来訪。
図書館では高山樗牛全集を読む。

そして考える。
「体は万物の本なり」
体が弱ければ、何も始まらない。
強くなる方法はあるのだろうか。
決意だけじゃなく、コツコツと実行すれば、きっとできるはずだ。


📅 日記本文

朝、米の袋を貼る。
数学をなす。
午後、妹、石松に行く。
晩、裏の地面の事につき、石松の人来らる。
図書館に行き、樗牛全集を読む。
我誠に思うらく、体は万物の本なり。
体弱ければ何事も出来ず、徒に泣き寝入りとなる。
ああ、強健なる体を作る方ありや。
曰く養生、志がなく実行を著実になさば何れかならざらんや。


📌 背景メモ

高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう 1871–1902)
明治時代の文芸評論家・思想家。東京帝国大学講師。

「理想を掲げ、精神を鍛え、強い個人として生きよ」
樗牛の文章は、当時の青年たちに「高い志を持って自分を鍛えるべきだ」と訴え、大きな影響を与えました。
わずか31歳で亡くなりましたが、その思想は多くの若者を熱狂させました。
17歳の祖父も、この全集を読んでいました。


💭孫のつぶやき

採用のための健康診断。結果は、あまり良いものではありませんでした。
家の手伝いをし、好きな数学を解いていても、「またしても身体が弱いせいで不採用になるのではないか」という不安が、頭から離れません。

師範学校の入試も、体格検査が影響した可能性が高いです。
勉強を重ね、卒業式では優等賞まで受け取ったのに。

努力ではどうにもならないものがある。
身体の弱さが、すべてを覆してしまうかもしれない。

そんな思いを抱えながら、米袋を貼り、数学をし、図書館へ向かった17歳。
その日に読んでいるのが、高山樗牛。

「強くあれ」と語る思想家の言葉は、このときの祖父に、どんな響き方をしたのでしょう。

岡本太郎「動物」