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100年前の給料袋(18歳・非正規教員の場合)|1920(大正9)年6月21日|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
師範学校に落ちて、来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で代用教員をしていた、初夏のころの話です。


🧭 この日のあらすじ

給料を受け取る。41円10銭。

修身の予習が足りなかったので、充分な話ができず、授業は失敗。
午後、裁縫の研究授業があった。
3時から授業の批評をした。
会議では、養蚕の授業の短縮化や体操などについて話し合った。


📅 日記本文

月給を受く(41.10)

修身には教材を十分調べなかったため、話十分出来ずして失敗す。
午後、裁縫の研究事業(原文ママ)あり。3時より批評ありたり。
また打合会ありて蚕養授業短縮の件、体操等について打合せらる。


📌 背景メモ

月給41円10銭
「岐阜県統計書(大正9年)」に、小学校教員の月給の統計ページを発見。
代用教員の月給のボリュームゾーンは20〜30円台。

祖父の日記によると
4月:27円20銭、
5月:26円38銭、
6月:41円10銭
7月:32円
8月:31円5銭
(その他の月は記録が無い)

代用教員としては平均的みたい。今月だけ特に多めなのはなんでだろう。ボーナス?

それにしても当時の統計。
郡ごとの就学人数から、教員の給与まで、ビシッと表にまとめてある。
Excelなど無い世界線。
そろばん片手に作り上げたんだろうなぁ。

岐阜県統計書 大正九年
https://www.pref.gifu.lg.jp


裁縫・養蚕の授業
男女別学が原則の時代だけど、農村部では共学の学校もあった。
丹生川小学校もそのひとつだったみたい。そして裁縫の授業は女子だけ。
女子の裁縫の授業を見学している祖父、なんとなく居心地が悪そう(勝手な想像)。

養蚕の授業も。養蚕とは、カイコを育てて繭をとること。絹糸(シルク)の原料となる。
下の写真は、同じ飛騨地方の別の高等小学校での様子。
この写真では女の子だけですね。

『目で見る飛騨の100年:写真が語る激動のふるさと一世紀』
岐阜郷土出版社 1989年


💭 孫のつぶやき

授業は失敗。本人も認めている。予習不足である。

しかし給料は41円10銭。
今月はなぜか多め。宿直が多かったのか、ボーナスなのか、謎だけど。

ちなみに同じ大正9年、東京の師範学校卒の1年目正教員が月給28円くらいだったそうです(参考:adeac.jp)。

じいちゃん、今月の給料だけで言えば、東京の師範学校ニキより稼いでるよ。