妹の通信簿と、真夜中の来訪者|1920(大正9)年3月23日(火)|
📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父の日記を、孫の私が2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は不合格。
翌年の再挑戦を見据えて、非正規の代用教員として働くことを決心しました。
しかし採用に必要な健康診断で「肺に異常あり」と告げられます。
採用がどうなるのか分からないまま迎えた、3月23日の記録です。
🧭 この日のあらすじ
妹の通信簿は、理科と図画のほかはすべて8点以上の良い成績だった。
夜中の1時ごろ、母の弟・石松兵一郎が、折敷地のよし様を荷車に乗せて我が家にやってきた。
📅 日記本文
妹、通信簿をもらいに行く。
理科と図画のほか、皆8点以上。
夜、1時ごろ石松兵一郎来らる。
折敷地のよしまを、荷車に引いて。
📌 背景メモ
祖父の妹
当時、小学校3年生でした。
のちに女学校へ進み、保育士になります。
母たち姉妹は、この叔母にずいぶん可愛がってもらったそうです。
母親に似て気が強く、祖父と同じ、グレーがかった目をしていたそうです。
祖父が家庭教師として勉強を見てやっていたのでしょうね。
生徒の成績、気になります。

女学校の制服姿
※アプリでカラー化しています
石松兵一郎
祖父の母の弟で、祖父の叔父。
京都にいた清三郎叔父さんの兄にあたります。
丹生川村青年会の会員として大正3年に表彰された記録が『丹生川村史』に残っています。
折敷地(おしきじ)
地名。現在の岐阜県高山市丹生川町折敷地。
祖父の家からは約18km、母の実家からは約10kmの山間部です。
○○ま
「○○ま」は「○○様」のこと。
「あやま(あや様)」「けたま(慶太郎様)」のように使われます。
「よしま(よし様)」が誰なのかは、母に聞いても分かりませんでした。
兵一郎さんは、よし様を荷車に乗せて、10km、あるいは18kmの山道を歩いてきたのでしょうか。

坐ることを拒否する椅子
💡おまけ

