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田んぼ、ひどんぼ、食いしんぼ|1920(大正9)年6月20日(日)|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
師範学校に落ちて、来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で代用教員をしていた、初夏のころの話です。


🧭 この日のあらすじ

(高山の実家に週末帰省中)

朝、妹は高等女学校へテニス観戦に出かける。
午後は片栗粉やひどんぼ(干しいわし)、砂糖などを買い出し。

夕方5時に実家を出発し、1時間半歩いて下宿先の石松家へ戻る。
夜は雑談や討論をして過ごした。


📅 日記本文

朝、妹が女学校へテニスの会を見に行った。
午後、片栗、ひどんぼ、砂糖などを買い、5時家を出て6時半石松に行き、夜、話および討議などをなす。

📌 背景メモ

ひどんぼ
背開きした、大きないわしの干物のこと。飛騨地方の方言。

飛騨の農村では、近所の何軒かでお互いに手伝いながら田植えをします。
1件の田植えが終わると、その夜は打ち上げ「植え上がり祝い」。
赤飯にごちそう、お酒も。
味はともかく(笑)足らないと恥をかくので、たっぷり作っておいたんだとか。

そしてお土産として、必ず用意されたのは、朴葉(ほうば)に包んだ「ひどんぼ」。
魚の干物がお土産だなんて、家で待っている子どもたちからブーイングの嵐が起きそうですが、当時、海が遠い飛騨の人にとっては「もらうと嬉しい」ごちそうでした。

ちなみに朴葉(ほうば)は飛騨では皿やラップ代わりの万能選手で、今も朴葉味噌や朴葉寿司に大活躍中です。

便利アイテム「朴葉」
無料な上に環境にもやさしい

ごちそうとお酒でお腹いっぱいになったら、明日はまた別の家の田植えが待ってます。体力勝負ですな。

写真は「聞き書 岐阜の食事」より、飛騨古川の「植え上がりのふるまい料理」。
 お赤飯、
 こも豆腐と昆布の煮しめ、
 ひね漬(干し大根のぬか漬)、
 ささげ豆と干し大根の煮しめ、
 ぜんだ芋(じゃがいも)のあぶらえ(エゴマ)和え、
 酒、
 ひどんぼ(イワシの干物)←持ち帰り用

『聞き書 岐阜の食事』
「日本の食生活全集岐阜」編集委員会
発行:社国法人 農山漁村文化協会 1990年

ひどんぼは持ち帰るので、ここでいただく食事は全部植物性。
一日中田んぼで働いた人たちに、ヴィーガン料理…!
酒の代わりにプロテインを用意したいところです(こちらもブーイング必至)。

女学校
県立高山高等女学校。尋常小学校を卒業してさらに学びたい女の子が進む、5年制の学校です。

当時の女学校には、高山の旦那衆(豪商)のお嬢様も通っていました。
登下校はもちろん、ちょっとした外出にも家紋入りの風呂敷包みを持ったお付きの者が1〜2人従う、まるでお大名のお姫様のような生徒もいて、大正12年に東京から赴任してきた教師が「大変な国へ迷いこんでしまった」と驚いたと記録されています。

この時尋常小学校4年生だった祖父の妹は、のちにこの高等女学校へ進学します。

『目で見る飛騨の100年:写真が語る激動のふるさと一世紀』
岐阜郷土出版社 1989年



💭 孫のつぶやき

「ひどんぼ」、初めて聞いたけど、食べ物だとは思えないような語感。

買い物リストは片栗粉、砂糖、そしてひどんぼ。
祖父の家は農家ではないけれど、小作農の人たちがいた。
田植えが無事終わったお礼にごちそうをふるまって、朴葉に包んだひどんぼをお土産に渡す。
そういう場面があったんじゃないかな。

妹はこの日、女学校のテニス観戦へ。まだ4年生だけど、そろそろ進路を考える年ごろ。
憧れの女学校を、胸をときめかせながら見学……と思いきや、当時の写真を見たら、テニスをしている女の子たちが裸足だった。お嬢様学校の華やかなイメージは、いったん置いておこう。

『目で見る飛騨の100年:写真が語る激動のふるさと一世紀』
岐阜郷土出版社 1989年