【トレンド】100年前の夏目漱石|1920(大正9)年8月3日(火)〜8月9日(月)|
📗1920年、旧制中学校を卒業した祖父。小学校の先生になろうと師範学校を受けたものの、まさかの不合格。 師範学校リベンジを狙いつつ、仕方なく(?)田舎の親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として小学校の教壇に立つことに。
そんな代用教員生活、初めての夏休みがやってきました。
この日記を、孫である私が106年後の2026年、同じ日付で紹介しています。
🧭 この日のあらすじ
実家で勉強したり図書館で本を読んだり。下宿先の石松家に顔を出し、勤務先の小学校にも。
夏休みでも当直や電話番があったのかもしれません。
そして8月6〜9日は、まさかの白紙。これまで「記事なし」の日はあっても、白紙は初めてです。
📅 日記本文
8月3日(火)
午前中、勉学、午後、図書館に行く。
漾虚集を読む。
8月4日(水)
午後、石松に行く。
夜、図書等を書いて遊ぶ。
8月5日(木)
朝、学校に行く。
8月6〜9日の日記は白紙
📌 背景メモ
漾虚集(ようきょしゅう)
夏目漱石の初期短編集。
明治39年(1906年)に大倉書店から刊行された、漱石にとって『吾輩は猫である』に次ぐ2冊目の単行本。
この日記の14年前に刊行された。

120年前の初版本。装丁が素敵。
そしてこの蔵書票。
持ち主・山本氏、なかなかの趣味人だったのでは。
💭 孫のつぶやき
夏目漱石はこの日記の4年前(1916年)に49歳で亡くなっています。
『こころ』は1914年、『明暗』は1916年。
祖父が日記を書いていた1920年には、どちらも出版からわずか数年しか経っていません。
つまり祖父にとって漱石は「教科書で読む明治の文豪」ではなく、最近亡くなったばかりの超人気作家でした。
祖父が「漾虚集」を手に取るのは、私たちが「1973年のピンボール」を今読むような感覚に近いのかもしれません。
(スミマセン、ハルキさんご存命ですが、漱石級で他に思いつく作家がいなくて)。
ちなみに「漾虚」とは、実体のない幻のようなものが漂う、という意味らしい。
井戸の底でじっと耳を澄ませているような、そんな静けさを含んだ言葉だ。
数日後、祖父の日記は見事にその意味を体現し、白紙になった。
やれやれ。世界の半分は、たぶん余白でできている。


