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最後の授業、それぞれの道へ|1920(大正9)年2月25日(水)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。  
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。

🧭 この日のあらすじ

中学校生活、最後の授業。
地理では国際連盟の話を聞く。
英語の島貫先生は、「我らの目的の基磐」について語られた。


📅 日記本文

最後の授業。
国際連盟の話を聞く。
島貫先生より、
我らの目的の基磐につき
話さる。


📌 背景メモ

島貫作蔵先生
宮城県出身。
1909年、東京高等師範学校英語科卒業。
鹿児島、仙台、八戸を経て、1920年に斐太中学校へ。

祖父の「最後の授業」を担当したその10年後、同窓会名簿に「死亡」の文字がありました。
50〜60歳でした。

謎図
卒業式の並び順でしょうか?
「る」に見えるけど「子」かな

💭 孫のつぶやき

地理の先生は国際連盟の話、
そして英語の島貫先生は、「我らの目的の基磐(基盤)」について語られました。
広い世界を見る目と、自らの志を支える土台。

卒業を前に、それぞれの道へ進んでいく生徒たちに、外へ向かう視線と、内に据える基磐の話が贈られたのでしょう。

地元に残る者、都会へ出ていく者、どこにいても、世界へのまなざしと、自分の目的の基磐だけは忘れないでほしい。
そんな願いがあったのかもしれません。

そして翌日からは卒業試験が始まります。
え?また試験!

春日大社の鹿さん