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謝恩会。床ばかり見ていた。|1920(大正9)年3月6日(土)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。  
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。


🧭 この日のあらすじ

師範学校の合格発表を見に行った。
先に発表を見た友人から、自分が不合格だと知らされる。
どうしようもなく悲しい。
こんな結果になるのなら、学校を休んでまで受験しなければよかった、とさえ思う。

けれど、勉強が足りなかったわけではない。
落とされた理由は、自分の身体が弱いからだ。

「身体はすべての土台である」
その言葉の真の意味を、この日初めて思い知った。
自分は浅はかだった。

夜には謝恩会があった。
先生方の話はどれも良い話だったが、自分は恥ずかしくて、ずっとうつむいているしかなかった。
床になってしまいたかった。

📅 日記本文

発表を見に行く。
はじめ、吉島に、
我が師範学校に不合格であったと聞く。
いとかなし。
かくあらば
学校を休みてまでも
試験を受けざらましを。
然れども罪は我にあらず、
我が体にあるなり。
我思うらく体は万物の元なりと始めてこれの真理を知る。
ああ我は迷いてありしなり。

夜、謝恩会あり。
中村、島貫、田中、稲川、石川、松田先生より、
有益なる話を聞く。
我、実に恥ずかしくて、
面をあげ難し。
実に慙愧無量。
11時帰宅。


📌 背景メモ

慙愧無量(ざんきむりょう)=慚愧無量
慙は慚の旧字。
あらすじでは「床になってしまいたかった。」と意訳しましたが、意味は、この上なく恥じ入ること。

当時の師範学校の入試では、ペーパーテストと同じくらい、あるいはそれ以上に、体格検査が重視されていました。

身長や体重、胸囲といった体格のほか、持病や健康状態も、はっきりと判定の対象とされており、実際の運用では、定められた基準以上にかなり厳しく見られることも多かったようです。

祖父はもともと痩せ型で、身体が強いほうではありませんでした。
さらに体格検査の2週間ほど前から、ねぶと(化膿性汗腺炎)に悩まされ、検査当日の4日前には切開手術を受けています。万全とは言えないコンディションで体格検査を受けざるを得なかったことも、今回の不合格の理由の一つだったでしょう。
日記にある
「罪は我にあらず、我が体にあるなり」
という言葉も、当時の入試事情を知ると、少し違って聞こえてきます。

参考資料
佐々木亨「大学入試における身体検査」


💭 孫のつぶやき

この1920年の日記。祖父のことや大正時代の空気を感じるのが面白くて、気がつけば12月31日まですべて読んでしまいました。
その中でも、3月6日のページは、祖父のことを一段深く知る手掛かりになった、特別な一頁でした。

この日は、祖父にとって生涯忘れられない日だったのではないでしょうか。
1920年という年の「核」となる1日だった気がします。

この日の日記を読んだとき、私は、まるで自分の子どもが不合格になったかのような気持ちになりました。
本来なら晴れがましいはずの謝恩会で、恥ずかしさから顔を上げられず、うつむいていたというくだり。
その光景を思うと、今でも胸がぎゅっとします。

それにしても、合格発表の日の夜に謝恩会があるというこのスケジュール。
さすが戦前、ハードモード。

ムンクじゃなくても叫ぶって