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さよなら分校、そして誕生日は完全スルー|1920(大正9)年4月16日(金)|

📗 1920年。旧制中学校を3月に卒業した17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の先生を目指して師範学校を受験するも、あいにく不合格。
来年のリベンジを誓いつつ、とりあえず親戚の家に居候しながら、非正規の代用教員として田舎の分校に立っていた頃の記録です。


🧭 この日のあらすじ

3時間目に松木先生がご帰還。
あっさり「明日から本校ね」と告げられ、分校ライフに幕。
授業を4時間こなして、帰宅。

昨日の泥棒は、下宿の横を通って山に逃げたらしい。
大勢の人が追いかけたけれど、捕まらなかった。


📅 日記本文

本日3時間目に松木先生来らる。
よって明日より本校に勤めることとなる。
4時間して帰る。
末と言える窃盗、我家の横を通り山に登る。
人々追うもの多し。
されど得ず。
夜、尼来る。


📌 背景メモ

祖父がこの分校にいたのは、お休み中の松木先生の「つなぎ」だったようです。
そして盗人の続報。
昨日の日記では、取り逃したと書いてありましたが、今日も大勢で捜索したけれど、またも取り逃し。
村の包囲網、機能せず。


💭 孫のつぶやき

実は今日、祖父の誕生日です。でも日記には一切その気配なし。
2年前の日記でも完全スルーでした。
そもそも、1949(昭和24)年まで、日本では個人の誕生日を祝う習慣がなかったそうです。
毎年1月1日にまとめて年を取る「数え年」の文化があったので、誕生日はただの普通の日だったのです。

そして。明日から本校勤務です。
下宿から分校までは7.4km、歩いて90分。それが明日からは徒歩15分!
祖父よ、最高の誕生日プレゼントじゃないか。本人は気づいてないだろうけど。

パリの郵便博物館で購入したペンダント