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卒業試験とハイカラ叔父さん|1920(大正9)年2月26日(木)〜28日(土)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。  
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。


🧭 この日のあらすじ

2月26日(木)
今日から卒業試験。
英語も歴史も手応えあり。
歴史は、武家政治から国会開設までの流れ、そして日露戦争の原因と結果。
帰宅後は英作文・英会話(会作)の復習と法律経済の勉強。
京都の清三郎叔父さんより手紙が来た。

2月27日(金)
清三郎叔父さんに手紙の返事を出す。
地理と代数の復習。
夜、母の実家石松家の人が妹を連れて芝居を観に行った。

2月28日(土)
試験は皆よく出来た。


📅 日記本文

2月26日(木)
本日より卒業試験始まる。

英語、歴史、いずれも良し。
歴史は、武家政治、国会開設にいたる筋道。日露戦争の原因結果、であった。
帰宅後、会作の復習をなし、夜は法経を見る。
清三郎君より手紙来る。

2月27日(金)
清三郎様へ手紙を出す。
地理、代数の復習をなす。
石松の人、来られ、夜、妹と芝居に行かる。

2月28日(土)
試験は皆よく出来た。

📌 背景メモ

卒業試験ということは、おそらく全範囲が対象だったと思われます。
その中で、どの分野が出題されたのかをわざわざ書き留めているところに、祖父の真面目さが見えます。

日露戦争は1904~1905年。祖父は2〜3歳ごろの出来事です。
当時の生徒にとっては「つい最近の戦争」を歴史として学んでいたことになります。

💭 孫のつぶやき

卒業試験のさなかに届いた、京都の石松清三郎叔父さんからの手紙。
祖父の母の弟で、絵を描くのが好きな人でした。

岐阜県の丹生川村(高山の隣町で祖父の母の実家)から京都の美術学校へ進み、さらに上海へ。
広い世界を見てきた、当時としてはかなりの“行動派アーティスト”です。

試験中にもかかわらず、すぐに返事を書いているところを見ると、17歳の祖父にとっては、憧れのハイカラ叔父さんだったのかもしれません。

全くの余談ですが、のちに叔父の娘さんは、文豪 谷崎潤一郎 のお宅で行儀見習いをしていて、『台所太平記』にお名前があるそうです。

清三郎叔父さんと夏の制服の祖父
この日記の1〜2年前くらいの気がします
※モノクロ写真をアプリでカラー化しています
美術学校の卒業生名簿
ざっと見る感じ
「三」がつく名前の人が多い。
三男だから、美術学校に
行かせてもらえたのかも
清三郎叔父さんの絵
酉八月と書いてあるので、
1921(大正10)年の作かな?
中島らもの絵を思い出しました。
中国の老師人形