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いつも、湯があった|1920(大正9)年2月9日(月)|2月10日(火)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。  
この時、祖父は旧制中学校5年生、3月には卒業を控えています。
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。

🧭 この日のあらすじ

2月9日(月)
室内で器械体操をする。
代数と物理の試験は手応えあり。
幾何の試験勉強をして、一日の締めは銭湯。

2月10日(火)
幾何の試験があった。
公会堂で本を読んだ。


📅 日記本文

2月9日(月)
室内、器械体操あり。
代、物の試、よし。
幾何―稽古。
湯に行く。

2月10日(火)
幾何の試験。
公会堂にて本を見る。

💭孫のつぶやき

祖父の日記にはよく「湯に行く」と、書いてあります。
どんな湯だったのか、誰と行ったのか、寒くはなかったのか。
そうしたことは、一切書かれていません。

おそらく、3、4日に一度は銭湯に通っていたはずですが、祖父にとっては、わざわざ書き足すほどの出来事ではなかったのでしょう。
行くのが当たり前で、感想を書く必要もない。それが、「湯に行く」という一言に集約されています。

その銭湯は、祖父の家の斜向かいにあり、桜の湯と言いました。
2年前の日記では、桜の湯で中学の先生に出会い、背中の流しっこをしています。

そして、桜の湯は、祖父が大人になり、家庭を持ってからも変わらずそこにありました。
同居していた、祖父にとっての母が、晩年、病気で床についていた頃、祖母はその姑をおぶって桜の湯に通っていたそうです。

子どもの頃の母も、また同じ銭湯に通っていました。
母は最初、何の疑いもなく祖父(母にとっては父)と男湯に入っていたそうですが、ある日、同じクラスの男子と鉢合わせしてしまい、それをきっかけに女湯に入るようになったと言います。
私もまた、幼い頃に桜の湯へ行ったかすかな記憶があります。

今では、桜の湯は廃業し、ストリートビューで見てみたら、跡地は駐車場になっていました。
日記には「湯に行く」としか書かれていませんが、その一言の裏には、家族三代分の記憶が、ぎゅっと押し込まれているように思えます。