部屋とYシャツと畳|1920(大正9)年5月2日(日)|
📗 1920年(大正9年)。旧制中学を卒業したての18歳の祖父が書いた日記を、孫である私が106年後の同じ日に公開しています。
師範学校を受けたけど不合格。「来年こそ!」と誓いつつ、親戚の家に居候しながら、非正規の「代用教員」として田舎の小学校の子どもたちに勉強を教えていた、そんな18歳の春の話です。
🧭 この日のあらすじ
母と妹は、祖父が居候している丹生川にある、千光寺へお参りに。
当の祖父は、高山の実家で朝10時まで爆睡中。
目が覚めてから、画用紙・雑誌・筆を買いに行く。
夕方はシャツをクリーニング屋に預け、5時に石松家へ戻る。
夕食のあと、勉強部屋に畳が敷いてあるのを発見。
嬉しかった。
📅 日記本文
母、妹と千光寺に行かる。
朝10時頃起きる。
まことに眠たし。
それより画紙、雑誌、筆を買いに行く。
夕方シャツを預ける。
5時石松に行く。
夕飯を食べて後、勉強の室の畳を引いてあったので嬉しかった。
📌 背景メモ
千光寺
飛騨・丹生川にある真言宗の古刹。両面宿儺(りょうめんすくな)が開いたと伝わるお寺で、円空仏でも有名です。
最近では『呪術廻戦』の聖地としても注目されているとか。

シャツを預ける
シャツをどこに預けるの?と思いましたが、祖父の娘である私の母に聞いてみると、「クリーニング屋さんじゃないかしら」とのこと。
昭和30年ごろまで、一般家庭のアイロンといえば「火のし」や「こて」が主流でした。炭火を使うので温度調節が難しく、熱すぎると生地が焦げる。平面的な和服ならともかく、立体的なシャツを家庭でうまくプレスするのはなかなかの難関だったようです。だからプロに頼む。なるほど。

下:こて
💭 孫のつぶやき
母と妹は丹生川の千光寺へ。祖父は高山の実家で10時まで爆睡。見事な入れ違いです。
誰もいない実家で、好きなものを買って、夕方にはまた丹生川に戻る。
週に一度の”ひとり時間”を、それなりに満喫した日曜日だったのかもしれません。
画用紙と筆を買っているのも気になります。晩年の祖父は油絵をよく描いていました。3年前の日記にも写生の記録があります。18歳の春、すでにそういう人だったんですね。
畳が敷いてあって嬉しかった、という一文も好きです。
勉強部屋に畳。それだけのことなのに、ちゃんと「嬉しい」と書き残している。
師範学校に落ちて、居候中で、それでもこういう小さなことを喜べる人だったんだな、と思います。

