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【混乱不可避】入試問題が、ない⁈(当日発覚)|1920(大正9)年1月30日(金)|

📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、2026年のこの日に紹介しています。  
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、106年前の味ということで、ご理解ください。


🧭 この日のあらすじ

師範学校の入学試験当日。
受験会場の郡役所で、郡視学から、
「理由は把握していないが、試験問題がまだ届いていない。
受験生は、自宅待機してほしい。」
と知らされる。

家に帰ったものの、いつ呼び出されるかわからない。
そのため学校に行くこともできなかった。


📅 日記本文

師範学校の入学試験があるはずであったが、
郡役所に行った時、郡師学より、
「試験の問題がどうしてか来ないから、待ってくれ」
と言われたから家に帰る。
しかし何時来るかわからないから、学校に行くるも出来なかった。



📌 背景メモ

郡役所と地方入試

師範学校は高山から離れた岐阜にありました。
そのため地方入試は、各地の郡役所に試験問題が配布され、行われていました。

郡役所という場所

ちなみに現在の岐阜県高山市は、当時は「岐阜県大野郡高山町」でした。
入試会場だった郡役所は、現在は飛騨高山の観光名所のひとつ「高山陣屋」となっています。

実はこの建物、1695年(元禄8年)から1969年(昭和44年)まで、なんと274年間、現役の役所でした。
江戸時代の代官所から始まり、明治・大正・昭和と、行政のオフィスとして改築を重ねながら使われてきたのです。
日本の木造の建物では、珍しいことだと思います。

祖父が師範学校の入試で足を運んだ郡役所も、まさにこの建物でした。


上:「高山陣屋」(現在)
下:役所時代(時期不明)


郡視学

視学(しがく)は、当時の「教育」を担当していた公務員です。
教員ではない立場から、学校の様子を見たり、教育の内容について助言したりしていました。

師範学校の地方入試を取り仕切るのも、郡視学の仕事だったようです。
ちなみに「視学官」という役職自体は、形を変えつつ、今も文部科学省に残っています。


💭 孫のつぶやき

ねぶと(化膿性汗腺炎)の治療をしながら迎えた入試当日。
試験会場まで行ったものの、試験は行われず、そのまま帰宅。
いつ招集がかかるかわからないため、学校にも行けないまま、モヤモヤとした時間を過ごしたのでしょう。

試験問題が届いていないことが、試験当日に発覚。
……いや、それは前日までに分かっていて欲しかった。

この行き当たりばったり感、当時の人たちはどう受け止めていたのでしょう。
今なら、確実にニュース案件ですよね。