100年前の親族会議。着地点は?|1920(大正9)年3月9日(火)|3月10日(水)|3月11日(木)|
📘1920年、旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
小学校教員を目指して受験した師範学校は不合格。
翌年、師範学校に再挑戦することを見据えて、非正規の代用教員をすることに決めました。
母の実家・石松家では、祖父の就職について、どう採用につなげるかの親族会議が開かれます。
🧭 この日のあらすじ
3月9〜11日
母の実家・石松家に滞在。
しかし到着早々、激しい腹痛と嘔吐に見舞われる。
薬も効かず、七転八倒。
ようやく回復したのち、親族で進路について相談。
石松家のつてで、丹生川小学校に、代用教員の採用をお願いできないか聞いてもらうことになる。
実家に戻り、同行した石松家の人は、芝居を観に行った。
📅 日記本文
3月9日(火)
石松へ行く。夜9時に寝たり。
3月10日(水)
朝、3時頃より、腹を病み、手ず(手水=トイレ)へ行くこと6,7へん、
朝、色々薬を飲みなれど更に効なく、常さんに医者へ行ってもらいたり。
そして薬をもらってくる。
効き目なし、吐くこと激しく、痛念々激し。
夕方、○○○(原文判読不能)に行ってもらい、吐きの止まる薬をもらいて飲む。
直に治る。
夜、カイロを入れし寝る。
ただ下腹の一部のみにてよくなる。
3月11日(木)
石松より帰宅。
種々の相談あり。
結局、丹生川の学校に聞くこととなる。
夜、石松の人芝居に行かる。
📌 背景メモ
手水(ちょうず)
トイレのこと。
祖父は晩年まで、トイレを「手水(ちょうず)」と呼んでいたそうです。
今でいう「お手洗い」より、もう一段古風な響きがあります。
💭 孫のつぶやき
師範学校に落ちた翌日、祖父はすでに河内先生に相談し、代用教員をしながら再挑戦する道を選んでいました。
そして石松家での親族会議。
結論は、「地元の小学校に口利きをお願いする」。
村議会議員に加えて区長も務めている石松家の当主・平五郎は、顔が広い。
地元リファラル発動です。
それにしても。
人生の進路が決まりつつあるその裏で、本人はひたすら腹痛と闘っている。
青春とは、だいたいこういうものかもしれません。

