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18歳の新米先生、過積載にて帰宅|1920(大正9)年6月30日(水)|7月1日(木)|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で非正規の代用教員をしていたころの話です。


🧭 この日のあらすじ

6月30日(水)
綴方(作文)の授業で、文字の書き方の練習をする。
放課後は、月末恒例の出席統計。
白菜と夏大根を買ったが、家に持って帰るのが大変だった。
夜は蚕の手伝い。

7月1日(木)
訓導の片口先生が来校。
夜は宿直。

📅 日記本文

6月30日(水)
綴方を運筆す。
放課後、出欠席の統計をなす。
白菜および夏大根を買う(4銭)
これを家に運ぶにつらし。
夜、かひこの手伝いをなす。

7月1日(木)
片口訓道(原文ママ)来校。
我、宿直す。


📌 背景メモ

白菜と大根
野菜としての白菜が生まれたのは中国。
日本で品種として安定栽培できるようになったのは大正6年(1917年)のこと。
つまり祖父が白菜を買った1920年は、白菜が日本に広まり始めてまだほんの数年。
全国に定着するのはもう少し先の話でした。

もうすっかり鍋の具として馴染んじゃってるけど、実は白菜とはここ100年くらいのお付き合いなんですね。
でも今は6月。白菜って冬野菜なのでは?

高冷地(丹生川村のある飛騨地方も)では、夏も収穫できるんだとか。柔らかくみずみずしいので、サラダ向きだそうです。

ちなみに大根パイセンは、1000年くらい前から日本に定着しています。

訓導
戦前の小学校の先生、今でいう教諭のこと。
訓導は小学校だけの名称で、中学・高校の先生は当時も「教諭」でした。
戦後の教育改革でごっそり制度が変わったときに、「教諭」に統一されて消えました。

師範学校を出て免許を持っていることが条件。まさに祖父が目指していた職です。
片口先生が赴任してきたのか、ただの来客だったのかは日記に書いていません。
今後の日記に登場するのかしないのか。伏線は回収されるのかどうか。
期待せずに読み進めたいと思います。

それにしても「訓導」って響きがちょっとかっこいいな。
「訓導片口恭介物語」とかね(恭介どっからきた?)


💭 孫のつぶやき

白菜、お前だったのか…(違う)
下宿先の石松家は大きな農家だったらしいけど、白菜はまだ作ってなかったんでしょうね。

ここからは孫の勝手な想像劇場ですが…
勤務先の小学校の近くで、
「珍しい野菜、『白菜』が入荷してるよ、どう?」
声をかけられるままに買い求め、
「おまけに夏大根もつけておくよ」
と、想定外の大荷物になってしまって困った顔の祖父が浮かびます。