白飯5、6杯いけます|1920(大正9)年7月5日(月)|7月6日(火)|7月7日(水)|7月8日(木)|7月9日(金)|
📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で非正規の代用教員をしていたころの話です。
🧭 この日のあらすじ
テニスに明け暮れる毎日。
隣町の高山の小学校がテニス遠征に来る知らせがあり、テントを張ったり用意。
練習にも熱が入る。初心者は室内練習可とした。
空腹で夕飯に白飯を5〜6杯お代わりしてしまった。
練習後にラムネを2本飲み干す(2日連続)。
📅 日記本文
7月5日(月)
兵一郎おねなん(原文ママ)が病気にて○はれていた。
打合会あり。
夜、蚊帳を吊って寝た。
7月6日(火)
本日放課後テニスをなす。
本校打合会あり。
7月7日(水)
大名田学校より遠征に来る手紙を受け、本校にてはてんとをやわい、午後、テニスの練習に熱中す。
初めてなすものは室内にてなすをよしとす。
家に帰りて空腹のため飯を5、6杯食う。
7月8日(木)
午後テニスの練習をなす。
夜直す。
ラムネ2本。
7月9日(金)
午後テニスの練習。ラムネ2本(大小)
📌 背景メモ
兵一郎
祖父の下宿先・石松家の次男で、祖父にとっては叔父にあたる。
病気だったのは、兵一郎さんなのか、兵一郎さんの妻子だったのか、祖父特有のミミズ文字で判読不能。
大名田学校
高山町(現在の高山市)にあった「大名田尋常高等小学校」。現在の高山市立山王小学校(私の母校です)。
この頃は全国的にテニス人気が高まりつつあり、大名田小学校の教員テニサーから、試合か合同練習のお誘いがあったようです。
やわう
飛騨の方言で「準備する」。
ラムネ
三ツ矢サイダーの発売開始が1909年。
ですが、この日記の書かれた1920年、飛騨高山にも地ビール、ではなく地サイダーがありました。
三剣合名会社(三ツ矢に対抗して三剣。微妙に似せているところにジェネリック感)が製造。
サイダーのほかジンジャーエール、イチゴ、リンゴ、レモン、葡萄蜜、ラムネがあったそうです。
(参考:『明治大正俗聞史』長尾量平 著 芸社1978年)
地サイダー、最近流行りのクラフトコーラ的な感じ?
当時の瓶やラベル、きっといい感じのデザイン。どこかに残ってないかな。
祖父が飲んでいたラムネの銘柄は書いていないけど、地元産の三剣ラムネではないかと思ってます。
ちなみに、サイダーとラムネの違いは?
…ビー玉入りの瓶にはいっているかどうかの違いで、中身は同じなんだそうです。
💭 孫のつぶやき
テニスのことばかり書いていますが、まだ小学校は夏休みじゃないんですよね。
代用教員、ちゃんと働いてます?というツッコミはさておき。
飯5、6杯はさすがにすごい。しかもここ、実家じゃなくて祖父は下宿人の身。
普通だったら「お代わりしすぎでは」と気を遣いそうなものですが、まったく遠慮の気配がない。
「居候、三杯目はそっと出し」なんて川柳がありますが、石松家は母の実家なので、祖父にとっても勝手知ったる第二の我が家。
白飯のお代わりに遠慮はいらない関係性だったということで。



