大正時代の「17歳の地図」|1920(大正9)年1月8日(木)|
📓 1920年、17歳だった祖父が書いた日記を、 孫である私が、106年前のこの日に紹介しています。
仮名遣いは今の表記にしています。
読めない字や謎ワードも時々ありますが、100年前の味ということで、ご理解ください。
🧭 この日のあらすじ
始業式があり、校長の話を聞く。
中学卒業後はすぐ進学すべきで、代理教員をしながら学ぶのは難しい、
という忠告を受ける。
体が丈夫ではない自分にとって、無理をして学問を続けるよりも、偉くなくても健康でいることを選びたい。
自分の望みは、小学校の教員になることだと、はっきり書き記す。
命あってこそ。
📅 日記本文
始業式あり
校長曰く
「中学を出て代理教員などなして後、我が望みをなさんとするは、誠に困難なり。
なぜなれば教員をすれば、自ずから生徒が慕ってくる。
生徒が慕ってくれば、自らも生徒を愛し、のちに、自分の目的を忘ることとなる。
のみならず学校を出てからの勉強は誠におぼつかなきものあり。
故にもし望みあらば、学校を出て、直に入学せよ。
しかざれば機を失わん。」と。
あゝ我いづれが良きか、まよいたり。
然れども、体、人に比し強健ならず(原文判読不能)る時、
心にもなき勉強して体を弱め、生を短くせんより
むしろ、位地低くとも体の健全は大切なりと思う(原文判読不能)
我小学教員となるを欲するなり。
実に生あっての物種なり。
📌 背景メモ
実に生あっての物種なり
「命あっての物種(ものだね)」には、
どんなに大事なものや、やりたいことがあっても、まず生きていなければ何もできない。
だから、命がいちばん大切。
という意味がこめられています。
💭 孫のつぶやき
当時の「代用教員」とは、現代でいう「フリーター」に似た感じだったのかも知れません。
祖父の望みは、高い地位や立派な肩書きよりも、まず健康でいること。そして、小学校の先生になること。
ちなみにこの数か月後、祖父はやむを得ず、この日「やめたほうがいい」と忠告された代用教員として働き始めることになります。
人生、思った通りにはいきませんが、それでも祖父は、田舎の小学校の教壇に立ちながら、この日の校長の言葉をふと思い出すこともあったでしょう。
