新米先生、デビューは山の分校で|1920(大正9)年4月6日(火)|
📗1920年。旧制中学校を3月に卒業した18歳の祖父が書いた日記を、孫である私が2026年の同じ日に紹介しています。
小学校教員を目指して受験した師範学校には不合格。
翌年の再受験を見据え、親戚の家に下宿しながら、非正規の代用教員として教壇に立っていた頃の記録です。
🧭 この日のあらすじ
今日から白井の分校勤務。
朝7時に出発。霧の中を1時間半歩いて学校へ。
3・4年生を受け持つことになり、いきなり算術の授業をすることに。
準備もなく、納得のいく授業にはならなかった。
続いて「読み方」。
天の岩屋の話を読んだが、質問が少なく一方通行になってしまった。
明日はもっと丁寧に教えよう、と反省。
午後2時に授業終了。帰宅後、自転車の練習。
夜は教案を書く。
📅 日記本文
本日より白井に行く
朝7時白井に出発。霧たちこめている。
1時間半ののち学校に着く。
川尻先生に会い、事情を話す。
校長より手紙来る由。
10時の少し紹介され、それより授業をなす。
我は、3、4学年を受け持つ。
はじめ算術をなす。
準備しないのでいい加減にした。
次に読み方に岩屋の話をなす。
あまり質問しなかったのでよくなかった。
明日は一層丁寧に教えるつもり。
2時に終わりたれば直に家に帰る。
自転車の練習をなす。
夜、明日の教案を書く。
📌 背景メモ
下宿先の石松家から白井の分校までは約7.4km。
日記では「1時間半」と書いているので、この日は歩いて通勤したようです。
Googleマップで確認すると、道路を北へ進む一本道でした。
途中には、鎌倉〜南北朝時代に築かれた山城の跡「笠根城跡」や、縄文時代の遺跡「根方岩陰遺跡」があります。
ただし「根方岩陰遺跡」は1963年、工事中に偶然発見されたもの。
祖父はもちろん、その存在を知らないまま通っていたはずです。
岩屋の話
これは「天の岩屋」の神話。
1918年発行の小学校国語教科書『尋常小学読本 巻五』の冒頭に載っていた話です。
祖父が児童に読ませたのも、同じ教科書だったかも。

東京書籍 1918
文科省「近代教科書デジタルアーカイブ」より

まさか自分の落書きがデジタル化されて、100年以上後に公開されるとは思っていなかったでしょうね。
💭 孫のつぶやき
毎日の通勤が徒歩90分とはびっくりですが、帰宅後自転車の練習をしています。
この時代の人たちは、現代の我々よりも歩くのには慣れていたとは思いますが、さすがに毎日往復で3時間かかるのはキツイ。

