友、宿直の夜に来たる|1920(大正9年)4月17日(土)|
📗 1920年。旧制中学校を3月に卒業した18歳の祖父が書いた日記を、孫である私が2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の先生を目指して師範学校を受験するも、あいにく不合格。
来年のリベンジを誓いつつ、とりあえず親戚の家に居候しながら、非正規の代用教員として田舎の小学校の教壇に立っていた頃の記録です。
🧭 この日のあらすじ
いよいよ本校への初出勤。新任式があり、小鳥先生は旗矛(はたほこ・地名)の分校へ異動になった。
初日は校長先生の授業見学研修。
5時に終わって帰宅。ひと息ついたのも束の間、宿直のため再び出勤。
夜は宿直室に同級生の平野がやってきて、校長も交えて村の近況トークで盛り上がる。
そして…例の盗賊がついに捕まった。
📅 日記本文
本校に行く。
本日よりいよいよ本校に行くるとなる。
新任式あり。
小鳥先生、旗矛(はたほこ・地名)に行かる。
時間中は皆、校長先生の教えらるを見る。
5時にて終わる。
夜、宿直に行く。
平野来たりて色々村の様子を校長に話す。
末盗賊とらわる。
📌 背景メモ
平野さんって?
旧制斐太中学校の同窓会名簿に、祖父の同級生「平野」さんがいました。
呼び捨てで書いているあたり、仲のいい友人だったのでしょう。
宿直中の祖父のもとへわざわざ遊びに来るあたりも、なんともフットワーク軽め。
同一人物かどうかは確かめようがないのですが、孫の解釈として。
💭 孫のつぶやき
初出勤の日に宿直。なかなかのスタートダッシュです。
平野さん、ご実家は丹生川小学校の近くだったのでしょうか。
勝手な想像ですが、校長と平野さんが地元トークで盛り上がるかたわら、祖父はあまり口を挟むことなく、宿直の仕事(日誌をつけたり)をしていたような気がします。
そういえば素朴な疑問。
平野さん、どうやって祖父が宿直だと知ったのでしょう。
手紙で「今度から本校に行くよ」と連絡していたのか、
下宿先を訪ねたら「今夜は学校にいるよ」と教えてもらったのか、
それとも用事で学校に来てたまたま再会したのか。
1920年、スマホはおろか電話も気軽には使えない時代。約束の仕方ひとつとっても、謎につつまれています。
話は変わりますが、平野さんのその後。
京都で歯科医をされていました。
同窓会名簿に記載の、京都の住所を調べてみたら、現在も同じ住所に平野ビル、そして平野歯科がありました。
院長・副院長のお名前を見ると、どうやら息子さんかお孫さんの代が継いでいる模様。
歯科医の家系は100年後も続いているようです。

晩年は油絵も趣味にしていた祖父、幼い私のために扇子に花を描いてくれました。
裏は、いちごが描かれています。
