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宙ぶらりんの春|1920(大正9)年3月28日(日)|

📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は不合格でした。
翌年の再受験を見据え、母の実家近くの小学校で非正規の代用教員として働くことを決意します。
履歴書と健康診断書はすでに郡役所へ提出しました。
ただ、その健康診断の結果があまり良くありません。
採用の返事はまだ届かず、落ち着かない日々が続いています。

🧭 この日のあらすじ

英語の勉強、薪割り、そして近所の山歩き。
城山では、卒業した斐太中学校の島貫先生に出会います。
子どもに歌を教えているところでした。

さらに公会堂で、たまたま松原郡視学(教員の採用に関わる役人)に会います。
しかし返ってきた言葉は、
「まあ、待つことになるだろうな」
でした。


📅 日記本文

朝少し英語を読む。
はるき2ソク割る。
あたご、城山に行って遊ぶ。
城山に島貫先生が子供に歌を歌ってみえた。
公会堂にて松原視学に会いたるに、大抵待つだろうと言わる。


📌 背景メモ

郡視学
は、郡の小学校を見て回り、まとめる立場の役人です。
教員の採用にも関わっていました。
祖父はこの頃、代用教員として働くことを希望し、その採否を待っている状態でした。


💭 孫のつぶやき

3月21日に郡視学と面談したとき、「辞令は31日までに出す」と言われていました。
ところが、その後提出した健康証明書の結果があまり良くありませんでした。
師範学校の不合格も体格検査が影響していたと考えられ、祖父の心は落ち着かなかったのかもしれません。
家の手伝いをしても、勉強をしても、どうしても考えてしまう。
そんな気持ちを振り払うように外へ出かけ、山を歩きます。
そして偶然、郡視学に出会いました。
それでも、返事はまだ。
もう三月も終わりに近づいています。