うれしきこと限りなし|1920(大正9年)3月21日(日)|
📙1920年。旧制中学校を卒業したばかりの17歳の祖父が書いた日記を、孫である私が、2026年の同じ日に紹介しています。
小学校教員を目指して受験した師範学校は、不合格。
翌年の再受験を見据え、母の実家近くの丹生川小学校で非正規の代用教員として働きながら、勉強を続けることを決意します。
しかし丹生川小学校からは「今年は新人の採用予定はない」と断られてしまいました。
そこで動いたのは母。郡視学(郡の教育担当者)に直談判しました。
そして、迎えた次の日。祖父は郡役所へ向かいます。
この日の日記です。
🧭 この日のあらすじ
午後、郡役所で郡視学と面談。
「こんなに熱心に教育者を目指しているのなら、丹生川小学校で採用しましょう。」
「31日までに辞令を出すから、履歴書と健康証明書を提出しなさい」
とのことだった。
祖父にとって、まさに「うれしきこと限りなし」の出来事でした。
📅 日記本文
彼岸の中日であるので人通り多し。
午後、郡役所へ行き松原郡視学に会いたる。
そういう熱心に教育者を望まれるならば、丹生川にて採用しましょう。
31日までに辞令を下げるから、履歴書と、健康証明書を持って来てくれとのこと。
うれしきこと限りなし。
📌 背景メモ
祖父の母(私の曽祖母)は、祖父が9歳のときに夫と死別し、金融業、酢と麹の販売業、地主業などを営みながら、女手一つで祖父と妹を育てました。
この日記の前日、祖父の母が郡視学に直談判して、祖父との面談の約束を取り付けました。
祖父の熱意が伝わったのか(それとも母の勢いにのまれたのか)、この日の面談で採用の約束を得ることになります。
影の立役者は、母でした。
💭孫のつぶやき
良かった…106年後の孫(私)も、胸をなでおろしました。
それにしても母の交渉力よ。
大正の男社会、郡役所相手に直談判。そして成功。シゴデキ、ここに極まれり。

"Cat with Kitten"
💡おまけ

モノクロ写真をカラー化。
右:左の写真をもとに、AIで現代風にしてもらいました。
