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100年前の先生もガチです|1920(大正9)年7月10日(土)|

📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校は、不合格でした。
来年こそ!と思いながら、親戚の家に居候しつつ田舎の小学校で非正規の代用教員をしていたころの話です。

この日は土曜日。3時間授業(半ドン)で終わりのはずが、午後も他校での研修に参加です。


🧭 この日のあらすじ

土曜日3時間授業のあと、午後は、大八尋常高等小学校での部落会へ出席。
尋常科6年女子の書方の授業を見学した後、先生たちで意見交換。
最後に校長から1冊の本の紹介があった。
祖父自身が何か発言したかは日記に書かれておらず不明(たぶん黙って座っていた説が濃厚)。
5時に閉会。
松の木(地名)経由で、高山の実家へ帰る。


📅 日記本文

本日3時間したる後、尋六女子の書方の時間に行く。
午後、大八学校へ部落会に行く。
実施授業の後、批評会あり。
終わりに校長の1冊の話あり。
5時閉会。
松の木に出て、家に帰る。


📌 背景メモ
大八学校
大八尋常高等小学校。
現在は廃校。跡地はグラウンドになっています。
祖父の実家と、丹生川村との間にあるので、大八学校での実施授業の後、その足で実家に帰った祖父でした。

実施授業と批評会
祖父の日記には何回か出てくる「実施授業」と「批評会」。現在で言う「研究授業」とその後の「研究会」です。
ちなみに当時は『実施授業』『実地授業』『研究授業』など複数の呼び方があったようです。

何日も前から周到に準備をしていても、授業はライブ。
子どもたちに思いもよらない反応をされたときのアドリブ力も試されます(しかも後方腕組みベテラン教師が監視中)。

こちらは、当時の実地授業の対策本の広告。
『批評教授は小學校に於ける年中行事の重要なる一項日である  すべからく一本を購いて批評教授の成功を収められよ』
実地授業をする方も、批評する方も、こういう対策本を読んで臨んだんでしょうかね。

先生も必死




💭 孫のつぶやき

これ、現代で言うなら「入社数ヶ月の新人が、他部署の人も見てる前で先輩のプレゼンを聞いて、そのあとの感想戦にも同席させられる」みたいな状況だと思います。

しかも本人はまだ非正規雇用の身(祖父にとっての師範学校は、いわば本採用試験)。
発言を求められたら地獄だし、求められなくても「早く終われ」と思っていたかもしれません。
いや、自分も近い将来、夢かなって正教員になったはいいけれど、子どもたちだけでなく大勢の先生の中でひとり教壇に立ち授業をしなければならんのか…とガクブルだったのでは。

5時に閉会した瞬間の解放感、時代を超えて分かる気がします。
松の木を抜けて実家へ向かう祖父の足取り、心なしか軽かったんじゃないでしょうか。知らんけど。