英語で生きてきたら、母語で考えられなくなっていた
「つまり、何が言いたいの?」
日本語でそう聞かれたとき、うまく答えられない自分がいる。
頭の中には言いたいことがある。
でも、言葉が追いつかない。
英語でなら、たぶん答えられる。
でも母語のはずの日本語では、輪郭がぼやけてしまう。
そんな自分に、最近ようやく向き合いはじめた。
言葉が分からないまま、英語で生き延びた
私は今、ロンドンで内科医として働いている。
小学校を過ぎた頃にイギリスに来てから、言葉が分からないまま、生活も勉強もすべて英語でこなしてきた。
最初は本当に必死だった。
言いたいことを言えない。
友達ができない。
冗談が分からない。
その悔しさを、何度も飲み込んだ。
気づけば、英語で仕事をすることには慣れていた。
今では、オンコールの夜勤も英語で回せる。
限られた時間のなかで患者さんを診て、情報を整理し、上の先生に簡潔にプレゼンする。
一人にかけられる時間は数分。
その場で考え、判断し、言語化する。
ミスは許されない。
それでも、13時間の夜勤を英語だけで乗り切るのは、今でも消耗する。
頭の奥のどこかで、ずっと別の回路を回しているような感覚がある。
母語なのに、勉強しないと分からない
私の母語は、日本語のはずだった。
でも使わない時間が長くなると、少しずつズレが生まれてくる。
話せている。
でも、深くは考えられていない。
社会のこと、抽象的なテーマ、自分の感情を整理して説明するような場面になると、英語のほうが自然に言葉が出てくる。
日本語では、どこか霞がかかったようになる。
将来のことを考えたとき、もし日本で医師として働く可能性があるなら、日本語で診療できなければ意味がない、と思った。
家族のことを考えて、いつか帰る日がくるかもしれない。
そのときに、母語で患者さんと話せない自分でいたくなかった。
その準備のひとつとして、今、JLPT N1の勉強を始めている。
海外で医師免許を取得した人が日本の医師国家試験を受けるには、N1レベルの日本語能力証明が必要になる。
受験資格を得るための条件のひとつでもある。
日本人にとって、N1は特別難しい試験ではないかもしれない。
短期間の勉強で合格する人もいると聞く。
でも私にとっては、そう簡単なものではなかった。
問題集を開いて、最初のページで止まった。
漢字が思った以上に読めない。
語彙が足りない。
文章を読むスピードも遅い。
母語なのに、勉強しないと分からないことがある。
それが、少し悔しかった。
言葉にできないと、思考が弱く見える
英語では、自分の考えをある程度自由に表現できる。
でも日本語になると、途端に自信がなくなる。
「この人、何を言いたいのか分からない」
「思考が浅いのではないか」
そう思われるのが、怖い。
言葉にできないと、思考そのものが弱く見えてしまう気がする。
小学生の頃、私は日本語が得意だった。
作文で賞をもらったこともある。
でも海外に出てからは、英語を身につけることに必死だった。
気づけば、日本語は「使わない言語」になっていた。
母語が遠ざかっていくことに、当時の私は気づいていなかった。
意識的に、母語に戻る時間をつくる
最近は、日本語を使う時間を意識的に増やしている。
日本語で考える。
日本語で書く。
分からない言葉は調べる。
シンプルなことだけれど、続けないと、言葉はすぐに遠ざかってしまう。
英語だけで生活していると、思考そのものが英語に引っ張られていく。
だからこそ、意識的に母語に戻る時間が必要だと感じている。
言葉があると、考えられる
日本語を学び直して気づいたことがある。
語彙が増えると、思考の解像度も上がる。
言葉があると、考えられる。
言葉がないと、曖昧なまま流れていく。
当たり前のことだけれど、今、あらためてそれを実感している。
二つの言語のあいだで揺れていることは、ずっと「中途半端さ」のように感じていた。
でも今は、少しだけ違う見方ができる
一つの言語ではこぼれ落ちてしまう感情を、もう一つの言語で掬い取れる。
それは、揺れてきた時間があったから得られたものだ。
揺れてきた時間は無駄ではなかった。
英語でここまで来た時間も、無駄ではなかったと思う。
二つの言語のあいだで揺れた時間が、今の自分をつくっている。
でも今は、もう一度、母語に戻ってみたい。
うまく話せるようになることよりも、ちゃんと考えられるようになるために。
言葉を学び直すことは、たぶん、単にスキルを戻す作業ではない。
自分の思考の輪郭を、もう一度なぞり直す作業なのだと思う。
どんな言葉で考えるか。
どんな言葉で感じるか。
それを選び直すことは、自分自身を選び直すことに、少しだけ似ている。
まだ途中だ。
でも、途中でも書き残しておく価値があると思った。
言葉を取り戻す途中の話を、ここに残しておく。
もし同じように、二つの言語のあいだで揺れている人がいたら - その揺らぎは、きっと、無駄ではない。
言葉にならないもどかしさを知っているからこそ、誰かの沈黙に寄り添えることもある。
言葉を取り戻そうとする過程で、私たちは以前よりもずっと深く、自分や世界と向き合えるようになるはずだ。
