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集中できない社会

最近の社会について思うことを、気が付いたらずいぶん前になってしまいましたが、以前記事にしました。

似てるかもしれませんが、もうひとつ、社会について思うことがあります。それは、社会が発展するにつれて、集中することがどんどん難しくなっているということです。

まず思い浮かぶものは、通知です。本を読んでいても、仕事をしていても、スマホの画面が光ったりスマートウォッチがぶるっと震えたりして、便利さと引き換えに集中が途切れます。また、いつでもどこでも確認できるからこそ、腰を据えて対応できないときでも暫定的な何かが求められる場面が増えたと感じます。

次に広告です。動画を見るにもゲームをするのにも広告が挟まれます。集中を持続するには長く、かと言って何か他のことをしたりぼーっとしたりはさせてくれない、絶妙な長さや構造を感じます。

集中するためには、その反動としてのぼーっとする時間が必要だと思いますが、最近は暇をつぶせる方法が無限にあるので、ぼーっとするためには、ぼーっとするという意思が必要になり、それはもはや「ぼーっとする」ではなくなって、瞑想という、練習の必要な技術なのではないかと思います。瞑想は、意外と難しいです。

かといって、集中しなくていい世の中になったわけではありません。また、集中が必要かどうかという観点から離れて、何かに打ち込んで夢中になる時間はとても幸せなことなので、それを失いたくないですし、失ってはいけない大事なものなのではないかと思います。


★ひとつ前の考え方記事はこちら

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