あなたが文章を書くとき、どんな喜びやうれしさを感じますか?
こんにちは、ぱんだごろごろです。
本田健さんの「ハッピーライティングマラソン」第3回目のお題は、
「あなたが文章を書くとき、どんな喜びやうれしさを感じますか?」
です。
書く喜び。
これはもう、圧倒的に「達成感」から来ているのではないか、と思います。
苦労の末の達成感、これが喜びをもたらすのです。
このように、私は書くのは好きですが、では、「息をするように書けるのか」「三度の飯より書くのが好きなのか」と問われたら、そうではないと答えます。
書くことは、私の場合、前提として、「苦労」が付いてくるのです。
正直に言って、私は「書く」よりも「読む」方が好きな性質です。
本に限らず、活字を見ると、つい読んでしまう、
授業参観で来ていようと、PTAの役員会で来ていようと、文化祭で来ていようと、行った先の学校に図書館があるとフラフラと中に入って、そこに置いてある本を読んでしまう、
まるで食虫花に誘き寄せられる虫のようなものです。
本を見ると、反射的に、「そこに喜びがある」と思ってしまう。
手に取ってしまう。
それこそ、先ほど書いた、「息をするように読む」タイプです。
読む行為に苦労はありません。
本を手に取り、ページをめくれば、それだけでもう読む準備は完了ですから。
ところが書くとなると、そうは行きません。
書き上げた先に喜びが待っているとは言え、そこに到達するためには、少なからぬ時間と思索とを必要とします。
自分の頭の中にある考えを、紙なり画面なりに映し取るためには、まず結論を提示し、それに至る道筋を書き取っていかなければなりません。
途中で脱線があってはならないし(書く上級者なら脱線も一興でしょうが、そこまで行かない身としては、本筋から外れた内容を挟むのは、無謀な冒険に他なりません)、行きつ戻りつしていては、読み手が疲れてしまいます。
芸はなくとも、自分の考えが読み手にダイレクトに伝わることを最重要課題とし、文章を組み立て、構想を練るのです。
書いている途中に、本当に書きたいことはこれではないと気付いたり、この書き方では読み手に自分の真意が伝わらないと悪戦苦闘することはしょっちゅうです。
そこまで書いてきた数十行を消して、また最初から書き直し。
昔の自分のエピソードを読んでもらいたくて書き始めたのに、あとから決めたタイトルから内容がずれていることに気付き、エピソード自体を全消ししたこともあります。
(そのエピソードは、まったく違う題名で書いた別の記事の中で取り上げました)
そもそも、読むことから最大の喜びを得、書くことには消極的だった私がnoteを始めたのも、我が身を顧みたときに、「読む」と「書く」のバランスがあまりに偏っているのではないか、と反省したからでした。
「読む」〈インプット〉ことばかりに比重を掛け過ぎ、「書く」〈アウトプット〉ことをほとんどしていない生き方に対して、残りの人生、本当にこのままでいいのかと、疑問と反省を抱いたからなのですね。
結果、noteという場を得て、週に一度でも書くことができている現状に、今は感謝し、書き続けています。

「あなたが文章を書くとき、どんな喜びやうれしさを感じますか?」
*書きたいものを書き上げることができた喜び
*ゼロからひとつのものを作り上げることができた喜び
*今日もまた、目の前にある山を登り切ることができたという、達成感。
あと、苦労の末に文章を書き上げると、ほんの少し、自分の頭が良くなったような気がするのです。
これはご褒美ですね

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
あなたの書く喜びが、素晴らしいものでありますように。
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