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70歳になったら、引き出しの中の昔のものを断捨離しようと思った話

こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、「老後に向けた断捨離」に関するお話です。

私がよく読んでいる、「りっつんブログ」のりっつんさんは、私より数才年上のお姉さん。
生活に根ざした話題が多いので、いつも先輩のお話を聞くような気持ちで読んでいます。

最近、りっつんさんの話題に出ることが多いのが、「家の中の荷物を減らす」こと。

りっつんさんは、現在一人暮らしなので、何か災害が起こったときに、家の中の荷物が多いと危険です。
もうすでに物の少ないお家ではありますが、それでもりっつんさんは、何か捨てるものがないかと考えています。

先日読んだところでは、とうとうご家族との思い出の品にも手を付け、処分なさったとか。


それを読んで、私もそろそろ考えなくちゃなあ、と思ったのです。


2階の和室の押し入れ、下の段に入れてある、若い日の思い出の品。

卒業論文と修士論文を製本したものの他、論文を書くに当たって作ったノートやファイルが、何冊も詰め込まれています。

演習や講義のノートも、きちんと整理されて積み重ねてあるのです。

何でこんなもの、いまだに取ってあるのだろう。

この先、これらのノートやファイルの中身を読み返すことなど、万に一つもありそうにないのです。


卒業論文や修士論文は、青春の日のかたみとして、取っておいたのでしょう。

では、それ以外のものは全部処分してしまっても良いのでは。


年を取れば、年々重い物を持つのが、辛くなります。

紙が重いのは、皆さんご存知ですよね。


押し入れの前に座り込み、私はしばし熟考しました。


この2階の和室の押し入れの中には、あまり出し入れすることのない物を入れてあるため、最近は大掃除の時にも、放ってありました。


もし、この引き出しの中身を全部捨てるとしたら、少なくとも、個々のノートやファイルの表紙は見るだろう。

ありそうになくても、物を捨てる時には、だいじな物が紛れ込んでいないかをチェックします。


私はふと、恩師達の定年記念文集の陰に、何かがはさまっているのを見つけました。

それは、私と夫の、結婚披露宴の席次表でした。

懐かしさ半分で、表紙をめくってみて、私は激しく後悔しました。


今はもう亡くなっている人がいます。
今も仲良くしている友人たちがいます。
恩師たちの半数は、この世にはいません。

昔、勤務先でお世話になった方々。
今はもう、思い出すこともない人達もいました。
親の関係で、列席してくれたのであろう方々もいました。

コロナで会わなくなって、その後もずっとそのままになっている親戚や知人。

見ていると、段々いたたまれない気分になっていきました。


この人たちは、私と夫の結婚披露宴に、わざわざ出席してくれたのに、私は、この人たちに、自分の両親の葬儀に、出て貰うことができませんでした。

そのまま疎遠になって、思い出すこともなくなっていました。


ぱたりと表紙を閉じ、これはもう捨ててしまいたいけれど、でも捨ててはいけないのだ、と思い、もとあった場所に戻し、引き出しを閉めました。


たまらない恥ずかしさ。


でも、あと10年経った後なら、この席次表を見ても、『あら、懐かしい』とだけ思って、捨てることができるかもしれない。

『この人、誰だったかしら』
と思い、もう記憶にはなくなっているかもしれない。


中途半端に覚えているから、恥ずかしいのです。

すべて忘れて、すべて無関係な人達になっていたら、あっさり捨てることができるかもしれない。


あと10年と言わず、8年後、70歳になったなら、私も変わっていることでしょう。

りっつんさんのように、潔く、思い出の品にも手を付け、処分することができるかもしれません。


それまでは、この引き出しの中身は、見なくても良いでしょう。


いつかは捨てます。

そう、多分、70歳になったら。

もう、思い出とも仲良くなっているだろうから。


*タイトル画像は、鱗粉あすさんからお借りしました。
ありがとうございました。



今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
あなたの思い出の品は何ですか?


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