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なぜ、この『私』が「自分」なのか?

こんにちは、ぱんだごろごろです。

自分はどうして自分なのだろう。
こんなことを考えたことはありませんか?

どうして自分は、この「私」のことを、自分と呼んでいるのだろう。

誰が「私」のことを、自分だと決めたのだろう。

子供のころ、こんなことをずっと考えていました。

この「私」が、どうして自分なの?

答えは出ないまま、いつしか私はそのことを考えるのをやめました。


最近、ふとしたことから、この問題について、また考える機会がありました。

そしてわかったのです。

当時の私は、

なぜ、この『私』が「私」として、自分に割り当てられたのか


ということが不思議だったのです。

自分と「私」との間には、大きな境い目があったから。

何で、こんなに背が高くて身体の大きい、運動のできない子が「私」なのかしら。

鏡を見て、これが「私」と呟いてみても、しっくりこない。

ただ、この「私」は、周囲の人間すべてが、「私」として扱っているから、多分他人から見ても、これが「私」なのだろう。

だったら、この「私」を自分として受け入れるしかあるまい。

学校時代、よく私は、『私は「私」を教育しなくちゃ』と思って、勉強をすることがありました。

「私」に教えるために、まず自分が教科の内容を理解しようとしていたようです。

本を読んでいても、
『「小公女」のセーラは、子どもなのにフランス語ができたんだわ。だったら「私」も、英語くらいできるようにならなくちゃ』

当時読んでいた、新潮文庫の「小公女」のページには、たどたどしい筆記体で、1から10までが英語で書いてありました。

そうやって、自分で「私」に、淑女教育をほどこしているつもりになっていたのですね。

今思うと、自分と「私」との間には、明らかな距離があったのです。

その距離はどこから来たのか。

当時はわからなかったのですが、つい最近、思いついた理由と云うのが、

「私」はたくさんいるうちの誰かだったのではないか


というものです。

この場合、『自分』はひとりしかいないのですが、その『自分』に割り当てられる存在がもう一人いて、それが「私」です。

イメージとしては、大きな広間があって、そこにたくさんの小さな女の子たちが集められています。

そこへ誰かがやって来て、何人もいる中から、一人の子を選びだし、
『さあ、この子があなたの「私」よ』
と言って、私のもとへ連れてきた、というものです。

「私」を選んで連れてきたのは誰か。
それはわかりませんが、それ以来、私は「私」を相棒として、この世で生きています。

そして、思うのですが、あの大広間にいた女の子たち、誰が「私」でも良かったのではないか。

あそこにいた女の子たち全員が「私」でも良かったのではないか。

だって、どんな違いがあったと言うのでしょう。

この現世で生きると決まった時から、私には現世用の「私」が必要になったのです。

現世にいる時だけの「私」なら、誰でもいいわ。

そう思うと、この世にいるすべての他人は、自分と同じ存在に思えてきます。

すべての人は「私」。
「私」と同じく、この現世で生きるための乗り物(容器)として、自分たちのために選ばれてきた存在。

『マジンガーZ』のロボットを思い浮かべてください。
本当のあなたは操縦席に座っていますが、他人があなただと思っているのは、ロボットの方です。


マジンガーZと主人公の兜甲児



「私」と「私たち」との間に、境い目はない。

私は「私」と仲良くしつつ、彼女が暴走しないように、今日も気を付けています。

皆様、私が小心者で怖がりなのはご存じだと思いますが、彼女はすぐに、未来に漠然とした不安を抱いて、わざわざ心配を始めるのです。

私(操縦席の自分)が欲しいのは、安心で安定した人生、穏やかな幸せですから、彼女(ロボットの私)が心配を始めたと見て取ったら、すぐにやめさせるようにしています。

目指せ、『私』と一緒に送る、「自分」の穏やかな老後❗




今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
あなたの『私』は、どんな方ですか?


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