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三浦梅園とわたし①

こんにちは。
今日は、三浦梅園のお話をいたしましょう。
三浦梅園というのは、江戸時代の中頃に生きていた人で、今で言う哲学者です。

1723年、8月2日に、現在の大分県、国東くにさき半島にある杵築藩きつきはん富永村(現在の国東市安岐町)で生まれました。

ですから、今年は、梅園が生まれて300年の、記念すべき年なのです。

梅園の家は、代々お医者さんだったため、梅園も本業は医師です。
ただ、幼い頃から、頭が良く、秀才として有名だったので、近隣の藩のお殿様がたから、今で言う公務員になって、官僚として働く気はないかとか、藩の学生たちを教育する気はないかなどのお誘いを受けることが度々ありました。

梅園は、それらのお誘いをことごとくお断りし、生涯を、自分の思索と研究と弟子たちの教育とに捧げました。
言ってみれば、自分の人生を、自分の抱いた疑問を解くために使い切ったのです。

梅園が追い求めたのは、この世界の仕組みがどうなっているのか、ということでした。
そのため、梅園は、専門の医学や、当時の学問の基本だった儒学だけでなく、天文学・物理学・博物学・政治学・経済学・文学(主に漢詩文の研究と創作)まで、実に幅広い分野の研究をしています。

そうして、独学を押し進めた先に、ついに「梅園三語」と呼ばれる三つの著作、「玄語げんご」「贅語ぜいご」「敢語かんご」を完成させたのでした。

三浦梅園の学問は、「条理学」と呼ばれます。
この世の成り立ちの道筋をたどる学問です。

メインのメッセージは、「反観合一はんかんごういつ」と「一即一一いちそくいちいち」。

一つのものには、表と裏とがある。
どちらか一方からのみ、見るだけでは、ことを見誤る。
常に、両面から物事を見るようにしなければならない。
一つのものは、二つに分けることができ、そのうちの一つもまた、二つに分けることができる。どこまでいっても同じ。そして、二つのものは、また合わさって一つになる。


さて、どうでしょう。
三浦梅園について、少しはお分かり頂けたでしょうか。

ありがとうございます。

では、いよいよ始めましょう。
これからお話させて頂くのは、「三浦梅園とわたし」についてです。

三浦梅園が生まれて、今年で300年。
それに合わせて、色々調べていくうちに、過去知っていた方が、思わぬ形で、現在に影響していることがわかってきました。

そして、お互いに記憶になくても、若い頃、確実に会ったことのある方が、実は昨年の私にとってのキーパーソンだったということも。


では、過去に戻りましょう。
そう、時代は、1983年。
今から40年前のことです。


「大熊さん」
「はい、先生」
「あなた、春から大学院へ進むんだったわよね」
「はい、そうです」
「私の友達のね、ご主人が医学部の医局長をしているんだけれど、今いる秘書の子が、3月いっぱいで辞めてしまうんですって。あなた、医局で秘書のアルバイトをやる気はない?」
「秘書、ですか? 私にできるんでしょうか」
「大丈夫よ。特別な資格なんて要らないし。アルバイトだもの。じゃ、彼に連絡しておくわね」
「あ、あの、先生、医局って何ですか?」
「ああ、そうよね、医局って言ってもわからないわよね。要するに、お医者さんの溜まり場みたいなものよ。まあ、行ってみればわかるわよ」
「はい、では、よろしくお願いします」


大学の部活動で顧問をしていた先生の紹介で、私は、大学病院の医局長秘書のアルバイトをすることになりました。
「龍岡門と言うところから入るのよ」
先生に言われた通り、本郷三丁目の駅で降り、龍岡門に向かいます。
ちゃんと仕事ができるのかな。
それまで、高校生向けの国語の添削のアルバイトしかしたことのなかった私は、緊張しながら医局の戸を開けたのでした。


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