全能神の生まれ変わり
全能神の生まれ変わり。高橋秀はそう呼ばれていた。
スッとした切れ長の目に、シャープな鼻筋、蠱惑的な筋肉に美術品のようなスタイル。そんな彼が、五歳の時にスケートリンクで宙を舞った。その映像に全世界が言葉を失った。
十歳の時には不治の病を治す研究が認められ、小学校を卒業するころには十三か国語を流暢に使いこなしていた。ヴァイオリンを弾かせれば国際的な賞を総なめにし、絵を描かせれば数千万から数億で取り引きされる名画を生み出した。
高橋秀は間違いなく、人類史上最も優れた天才であった。
「秀くんって本当にすごいね! こんな普通の中学校にいていいの?」
学校では常に同級生に囲まれていた。
「高橋なら、これも楽勝だろ」
男子生徒が、秀の机に、ドカッと紙の束を置いた。クラスみんなでやるようにと言われていた、資料のホチキス止めだ。
「今度の演劇の主役も高橋くんでいいよね」
「体育祭のリレーも」
「英語スピーチの学校代表も」
生徒や教師がどんどん押し付けてくる物事は、秀の中のどす黒い靄を増幅させる。
「高橋くん」
茜色の放課後、ぼうっとしていた秀の意識を呼び戻したのは、白い肌の女子生徒だった。
「……」
「大丈夫? 私だよ。葉月さやかだよ」
さやかは眉を八の字にして、秀を覗き込む。
「これ、私も手伝うね。一応クラス委員だし」
秀の前の席に座ったさやかは、資料の束を手に取った。
そうだ。資料のまとめが終わらなくて、半分寝てしまっていたのだ。
「みんな、高橋くんが何でもできるからって、全部丸投げして……高橋くんだって、早く帰りたいよね」
「……別に」
秀の答えに、さやかはハッと手をとめる。
「家に帰っても、みんな、兄のことばっかりだし」
秀の兄は難病を抱えていた。秀が稼いだスポーツの賞金や、芸術品の売上は、すべて兄のために使われていた。長男とはそんなに偉いものなのかと、秀はずっと疑問だった。
その問題がつい先日解決した。早い話、秀は父と愛人の間の子どもだったのだ。母が兄だけに執着するのは当然だった。
学校の人や教師もそうだ。都合のいい道具としてみられるか、勝手に別次元の人間扱いされるか。自分がいると勝負事がつまらなくなると言われたこともある。秀の天才の遺伝子を継いだ子どもがほしいからと、女教師や看護師に襲われたこともあった。
「……ねえ、高橋くん」
骨格のはっきりした秀の手に、さやかの繊細な指がのせられる。
「私はただ、丸暗記が得意って理由だけでクラス委員になった、地味な子だけどさ。それでも、クラスのみんなの力になりたいんだ。それは、秀くんに対しても同じ。私にできて、秀くんにできないことなんて、きっとないんだけど」
さやかは蒲公英のように微笑んだ。
「辛い時は言ってほしいな。こういうお手伝いなら、いくらでもできるから。寂しい時に寂しいって言えないのは、心に雨が溜まっちゃうから」
秀は人生で初めて目を見開いた。驚きや感動など何もない、何をやっても人類史上最高となってしまう人生だった。そんな自分が、ただの一般的クラスメイトである葉月さやかの言葉に、声音に、笑顔に、こんなにも心を律動させられたのである。
秀は中学を卒業した。義務教育が終わり、天才故の使命へと引きずり込まれる。
世界の時間はどんどん流れる。次々に世界は新しくなっていく。
同い年の皆は、心の通じ合う仲間に囲まれ、充実した高校生活を送っていく。
家族は、不倫の問題などなかったかのように、父と母と兄、三人で、幸せな家庭を紡いでいく。
たくさんの喜ばしい関係性が築かれていく、そのどれもに、自分の姿はない。
ささやかな幸福だけでも……
ささやか……
さやか……
さやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかさやかsayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayakasayaka11100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 10001011 11100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 1000101111100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10000100 11100011 10000001 10001011
*
「おい、ZeuShuがエラーを出してるぞ」
皆が同じような背格好をしている白衣の男達は、キーボードをガタガタと叩いている。大学の講堂のような広い部屋だ。壁の四方に映し出された大量のモニターは、いずれも真っ赤な『警告』の文字を表示している。
「あの女をつれてこい」
部屋の前方、黒いソファーに座っているスーツの男が、隣に立つ狐顔の女に指示をした。狐女はキビキビと部屋を出て、すぐ目の前にある硝子のエレベータに搭乗する。
どんどんのぼるエレベーターの車窓から、現実の東京がのぞく。人はいない。信号も動いていない。空洞のビルやマンション。車や電車も存在しない。
最上階に着いたエレベーターは、その事実を「チーン」という電子音でもって告げる。狐女は颯爽と廊下に出て、角を曲がった先の一室に、ノックもせずに入る。
「修復の時間よ」
ベッドに浴室、テーブルと、生きていくのに最低限必要なものだけが揃えられた部屋。その異様な白さは、一切の菌を排除する病室のごとき様相だ。
ソファーに座っている制服姿の女子高生は、耳の下で結んだふたつ縛りの黒髪を揺らして、キッと狐女を睨む。
「そんな言い方しないでください」
「私はただ、世界を平穏に保つ仕事をこなしているだけ。現状が不満なら、あなたが恨むべきは彼よ。葉月さやかさん」
狐女は優雅にターンをして、部屋を出る。その後を追尾してくるさやかの表情は、氷のナイフであろう。見なくとも分かる。背中が教えている。
最上階には二部屋しかない。さやかがいた部屋と、これから入る部屋の、もうひとつ。
真っ黒な扉に、黄色の文字で『関係者以外立ち入り禁止』と記された扉を、狐女はガチャンと開けた。
カプセル状のガラスの容器が、丸い部屋の中央に鎮座している。高さは二メートルちょっと。容器の四方八方から様々なコードが伸びており、壁や天井に括りつけられている。
「それじゃあ、お願いね」
さやかに目くばせした女は、さっさと部屋を出た。
扉の閉まる重たい音がしたと同時に、茶色の外套を羽織った男が、狐女に笑いかける。
「しかし、ZeuShuはすごいな。たった一人で、全世界の人間を収容する仮想空間を構築するとは」
狐女は腕を組んで黙っている。
「彼は神経細胞無限増殖病、だったっけ。そりゃあ優秀なスパコンになるわけだ。CPUやSSDが無限大のパソコンのようなものだ。生命を超越した学習、運動能力を発揮できるだろう。スペックに制限がないロボットとでもいうべきか」
「その結果が、両親に多額で売られて、仮想空間を管理する上位存在——ZeuShuになったんだもの。皮肉なものね」
「人類が生んだ最高の天才児は、独りで仮想空間を動かしている」
「いいえ、違うわ」
狐女は閉めたばかりの扉に手を当てる。
「彼は間違いなく天才だわ。無限の神経細胞によって、制限のない頭脳と運動能力を手に入れた。何をやらせても人類の頂点に立ち続ける……だけどね、“孤高の”天才では、決してないのよ。そこには至れなかった」
狐女は目を閉じる。
さやかは、ガラスのカプセルの前にポツンと置かれた、黒い椅子に腰を下ろす。
「高橋くん。私だよ。さやかだよ」
中学の時と変わらぬ仕草で、カプセルの中の脳味噌に笑いかける。
「みんなが別の世界に行っちゃっても、私はずっと、高橋くんと同じ、現実の世界にいるよ」
穏やかに語りかけると、椅子を通して、さやかの身体に電流が走る。
「うん。ぎゅって、抱きしめていいよ。好きにしていいよ」
右手から駆けあがってくる電熱が、さやかの唇を震わせる。口元から首筋、鎖骨、胸……熱はゆっくりと下がっていく。
仮想空間を構築するスパコン「ZeuShu」として、秀は神になった。何をさせても人類一である彼が作り出す仮想世界は、すべての人間が理想的に暮らす楽園を生み出した。だが、その楽園に、彼自身が加わることはない。それに耐えられずデータを暴走させるのだから、彼は間違いなく、他人を求めている。
さやかは分かっていない。自分が彼の暴走を静める安定剤に選ばれた理由を。でも、だからこそ、こうして微笑みかけ、慰めることに注力するのだ。
「高橋くんだって、ただの男の子だから……私、そばにいるから」
さやかの中で電流の熱が弾けた。「はっ……」と吐息をこぼして、さやかの意識は真っ白になる。
《警告解除。ZeuShuのエラーの解消を確認》
華奢な白い体躯を震わせ、ぐったりとしたまま呼吸を整えるさやかに、ビル内の放送は聞こえなかった。
<終>
