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私たちは、なぜ空っぽなのか。

人に直接正しいことを言ったり、web上で間接的に正しいことを書くのは簡単で、社会的な倫理観、道徳感をなんとなくでも理解されている人なら、息を吐くように正しいことが言える。

この世界は正しさであふれている。

みんながweb上でつながれるようになると、相互監視の目が生まれる。現実社会と同じ。

あの人は正しいことを言うか、あの人はおもしろいことを書くか、あの人は有益な情報を発信するだろうか。ふーむ。


ちょっとでも正しくないことを書くと「おや?」と思われてしまう。


たとえばこの国では、有名人が政治的な思想を発信するのははばかられるけど、海を越えた別の国では、どんどん政治的な意見をいうべきだと歓迎されるらしい。歓迎されるというか「そういうものだ」と受け入れられるやつだ。

近年の例だと、アメリカのテイラー・スイフトが2018年にはじめて、自身の政治的意見を表明した。

くちびる、あかっ

>彼女の価値観からは、先週ドナルド・トランプ大統領からの支持を受けた共和党候補者のマーシャ・ブラックバーン上院議員には投票できない。その代わりに彼女は、民主党のフィル・ブレデセンとジム・クーパーを支持した。

日本では、たとえばマツコ・デラックスであったり明石家さんまあたりが、自身の政治的思想を発信する姿は、ほぼ見ない。

最近のロンブーの田村淳とかあたりはバンバン言うけど、依然として意見を述べる有名人は少数派な気がする。いたとしても「変わり者」「めんどくさいやつ」「意識高い系」というラベルを貼られるのがセキの山。


自分の意見を述べるためには、その根拠を述べなければ学校の先生から怒られる。会社の上司からも注意される。

「君がそう思う根拠はなんだい?」

自分の意見を述べるためには根拠が必要で、その根拠を述べるためには知識が必要だ。正しいとされる客観的事実の検証も必要になる。


思うにこの作業って、大人でもなかなかに骨の折れる次元の高い学習作業ではないか。


事実を収集し、客観的な視点を持ちながら多様な意見を取り入れ、そこに自分ならどう思うか? をおり交ぜて考え、そして自分の意見を構築する。これは難しいことだ。


だからこそ、私たちは独自の意見を発信することができない。

なんなら、同調圧力みたいなもののせいで、個人的な意見を言わないほうがいい気もしてくる。なので個人の意見は言わない。

そうなると、個人はなにも考えなくてOKになる。



空っぽの出来損ないの出来上がりだ。


でも、何かの主張はしたい。うーん。

私たちが何らかの意見を発信しようとするとき、たとえばそれは「仕事術」とか「文章術」とか「人生哲学」とか「恋愛論」のような、いわゆるごくありふれた、それほどに専門性を必要としない分野に陥りがちだ。私も。ゴミ情報。

要は、知識はそれほど不要で、経験で補える分野である。かついたずらに誰かを刺激しない分野。


つまり、この世の中は有益そう・・で、正しそう・・な情報で溢れている。私たちはそれを「ははー」と平伏して受け取っている。

正しい皮をかぶったインプ稼ぎのカス情報に踊らされている。過去にも書いたが、そこから何かが生まれることはない。一切ない。


結論、やはりコミュニティが必要だろう。
アゴラが必要だろう。

自由闊達な、ハワイの風のような空気が流れるコミュニティが必要だろうと思う。一方が教えを請うのではなく、相互に疑問を持ちながら、正しさや正解を見つけていくようなコミュニティ。

過去に林太郎くんが「ダーキさんは、村長になりたいんじゃないか」と書いていたけど、あながち間違いじゃない。


もっと、こう、なんでも話せる場所が必要だろう。ハワイ、行ったことないけど。

<あとがき>
この記事を書き始めたとき、本当は違う主張がしたかったんですけど、テイラー・スイフトが出てきたあたりから「あれ? なにが言いたいんだっけ?」となってしまいました。なんの新規性もない記事でちょっと恥ずかしいです。今日も最後までありがとうございました。

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