血道 第四部『血道』③
同日、大山家座敷。
「おお、なんだなんだ、お客さまか」
壮年の男性が大きな声で言った。
大広間とも呼べるような大きなお座敷に、長方形の座卓をいくつも並べて、それを二十人近くの男女が囲んでいる。
全員、どこか雰囲気が似ていた。大山家の人間だということが分かる。親族だ。
美国以外は普段着だが、ふるまわれている料理はオードブルだったり、てんぷらだったり、ごちそうだ。
それぞれ和やかな雰囲気ではあるが、香菜子と樹音を振り向く目には明らかによそ者への警戒が見て取れる。
上座には、美国と光里をさらにか細くしたような女性がちょこんと座っている。ふたりの母親だろう。顔色が悪い。病気なのだということは見て分かった。本来はこんな場所に来るべきではないのだろう。だが、彼女は女主人として、上座にいる。
だが、最も上座には和装の美国が向かい、血道の親族をぐるっと見渡した。
「光里の大学の先輩と、わたしのお世話になったお医者さまですよ」
医者。そう紹介されて、樹音は内心で笑った。権威のある肩書に、ぱっと視線が集まった。
「遠野樹音です」
「遠野香菜子といいます、大山くんのゼミの先輩で」
「座ってください、こちらに」
美国が自分の向かいをさした。そこに座っていた年配の夫婦らしき二人組は、さっと席を空けて、ふたりに手招きした。
家の奥では誰かが動いている音がする。お勝手では女性が動いているのだろう。宴会をつつがなく終わらせるために。
「美国と光里がお世話になりました」
そう次々とお酌に男性たちが現れる。
宴には男性しかいない。それぞれ、何々のおじだ、何々の親戚だというが、あまりにも数が多く、覚えきれない。
医者という肩書を持った樹音は、美国の打った一手で明らかに好意的に対応されている。あまりに露骨な手のひら返しだ。
(……歴史、か)
たくさんの目が樹音たちを観察している。
生きている人と同じくらい、そうではないものがいる。
欄間や壁にはずらりと遺影が並んでいる。
半分ほどが絵であり、その半分ほどが白黒写真だ。二枚だけカラーの遺影があったが、それは恐らく光里が高校時代に失ったという父と、最近亡くなった祖母に違いない。
やまほどの白黒の遺影の中では、異物感がぬぐえない。
「すごいね、香菜ちゃん。大歓迎だ」
樹音は酒を飲みながら、香菜子に言った。食事には手を付けていないが、樹音は注がれた地元の大吟醸を延々と傾けている。
「先生、よくのめますねえ、いける口ですかぁ!」
おじのひとりが、訛った口調で、樹音の空いたコップに注いでいく。
おかしな宴だ。樹音は酒をすすりながら、美国を観察した。
本当に彼女は大山美国なのだろうか。
美国は親戚の相手をしながら、そばで黙りこくっている光里に時折声をかけている。
もともとの大山美国のことは何も知らなかったが、これが彼女の普段の様子ではないはずだ。
古い家、古い価値観の上に築かれた人間関係。
行事に紐づかない、意味もない宴会。
樹音の横で、香菜子は目の前の食事に箸を付けることはしなかった。どうしても、様々な神話や民話がよみがえる。黄泉戸喫、異界のものを食べると、その世界のものになってしまう。古今東西様々な文化圏で、冥界や異界の植物を口にしたために還れない人々は出てくる。
酒に手を付けていても、なんとなく樹音も食べ物に箸をつけずにいる。
ここは、樹音の知っている日本ではない、地方の古い文化が文字通り息づいた世界だ。
光里は自分の姉を、時々信じられないと言いたげな目で窺っている。
確かにそうだ。つい先日、美国は明らかに衰弱していたし、自力で歩くこともむずかしい様子だった。それが、今では単衣を身につけ、人々を女主人としてもてなしている。
時々、袖からちらりと見える傷や、ほとんどない爪は彼女と同じだ。
(そして……この家の誰も、彼女のあの傷には何も言わない……)
そもそも座敷牢から逃げ出した女だ。そんな女がまた、ふらりと現れたら、なんとも思わないのか。
何かが、いいや、全てがおかしい。
「何も心配いりませんよ、遠野先生」
耳元でささやかれたような感覚がして、樹音と香菜子はハッと顔を上げた。
そばにいるのは香菜子だけだし、美国は一歩も動いていない。
だが、はっきりと声が聞こえた。
「わたしは、決めたんです。守るべきものを、守るために」
上座に座った美国が言う。今度は本当に話したようで、彼女の口も動いていた。
「……美国さん」
彼女は艶然と笑む。
「美国ぃ、頼んだぞぉ!」
酔っぱらった誰かが叫ぶ。
――ごめんなさい。本当にごめんなさい、家を継げなくて。
――それはええけども、ちゃんと光里と話し合って、家をどうすっか、出てぐときに決めてたんけ?
――わたしたちなりには、父とは……
──おじちゃんはもう死んだんべ。その時とは状況が違う。おめえか、光里が継ぐしかあんめえ。
声がする。
壊れたレコードのように。
視界が急にぶれて、二重の風景が見えはじめた。
喪服の人たちが並び、下座に家紋の付いた喪服を着た美国が土下座している。
――責任があんだぞ、おめえらは大山の家を守んねえとなんねえ。ばばちゃたちの墓だって、守(もり)がいんべ。お母さんだって、体が弱ぇのに、子どもふたりして、やれ『仕事だ』『学校だ』って村から出て、だれが面倒を見るんだ。
娘のそばで、抜け殻のような表情で美国の母が座っている。
感情を失ったような顔で、ぼんやりと飾られた夫の遺影を見上げている。
――あたしたちだってね、鬼じゃないんだ。この家のことを、心配してんの。なにかあってからじゃ、どうしようもないって、あんただって分かってっぱい? お父さんが亡くなったときも、突然で、もうあんたたちしかいないんだよ。
ずらりと並んだ親族が口々に彼女を責め立てる。その向こうで、楽しそうに酒を飲む赤ら顔が透ける。
同じ顔だ、同じ人間がふたつの顔を晒している。
同じ場所に座っている、美国以外。
あの時の糾弾なんて、存在していないかのように。
あの日、下座で土下座していた彼女は、今日は上座でゆうゆうと座っている。
――ごめんなさい、ごめんなさい……わたしが悪いんです……考えなしで、賢しらで、女に学なんていらなかった。
――なにも、そこまでは言ってねえべ。ただ、まぁ、別に東京の学校までは行かねえでもよかったんでないの? 地元の女子短大に進学した子だって、たくさんいっぺ。賢くたって、女は家さ入ったら、意味ねえんだがら。
なんだ、これ。
樹音は、ははっと笑った。
最悪だ、気持ちが悪いな。なんでこんなことを言われて、土下座して謝らないといけないのだろう。
樹音の反発とは別に、喪服の美国はかわいそうになるほど小さくなって、何度も何度も謝罪する。
謝罪に比例するように、彼女の無責任さを責める声がどんどん高くなる。
樹音には理解ができなかった。
祖母が亡くなり、悲しみの中心にいるべきはずの女性が、どうしてこんな風に責められないといけないのか。
ごそり。
ごそ、ごそ……ずり……ずり。
土下座する美国の背後に、ゆっくりと手が伸びてくる。手探りで畳を這いながら、忍び寄る。美国の喪服の袖や、帯、裾をつかむと、子どもが遊びをせがむように引っ張る。
美国は顔を上げた、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、その手をぼんやりと見る。
見えている、彼女には、この無数の手が。
バチンッ。と急に、大きな破裂音がした。
頭を横から殴られたような衝撃に、樹音は頭を振った。
急に、見えていた世界がかわり、視界がハレーションを起こす。何度も瞬きをしていると、ようやく不自然な宴会が見えてきた。
そんな樹音を見て、美国は、ふふと短く笑った。
──触られた。直接、脳に。
確信はないが、そう直感する。
樹音も彼女に笑い返す。
「大丈夫ですか? 遠野先生。顔色が悪いですよ」
「酒がおいしくて、飲みすぎたのかもしれませんね。少し、夜風に当たっても?」
「それなら、客間でお休みになりますか? 用意をさせますよ」
「……そうだね、少し、そこで話しをしませんか、美国さん」
一瞬、美国の表情が消えうせた。
真顔でじぃっと樹音を見る。
「そうですね、客間に行きましょう」
