「温泉で髭をカットして『江戸の性愛術』に溺れた話」 めちゃくちゃ長いょ!心して読んでね!
中国の話でやすが、白髭三千丈というのがありまして…いささか怪しいよ?というまゆに唾つけて聞いてねというのがございます。
髭がいつのまにか伸びに伸びて地面でぐるぐるしてしまいやしたので、一言入れてしまいやした。
ちかごろ色々煮詰まってきたので、伸びすぎた髭をカットして温泉地に遊びにきてみました!

なんか目があっているんですが…
なんかケッタイなことをしている人がポスターになっておりますな…。
何を炙っているんでしょうか…。
しかも、椅子に腰掛けてるっていうよりも木に寄りかかっている…。
アタクシも湯につかろうってのにうっかりして本を持ったままきちまってるし…。
せっかくなのでお風呂で読書をすることに…。

たまたま手にとった本が「江戸の性愛術」
江戸の風俗研究の一環で仕入れていた本です。
江戸時代の遊女の指南書『おさめかまいじょう』を紹介しつつ江戸時代の性風俗について書かれた本になりやす。
軽い気持ちで読み始めたら、そこには「粋」なんて言葉じゃ片付けられない、凄絶なサバイバルの世界が広がっていまして……。
ではまずこの「おさめかまいじょう」というのがどのような本なのか?ということの紹介をいたしましょうか。
「おさめかまいじょう」は、遊女の性技指南書になりやす。
序文には「宝暦二年(一七五二)霜月」。それが写本で伝承され、文末に筆写した年月が四つ並んでいる。最初が「宝暦九年(一七五九)正月」であり、次の人が写したのは「明和七年(一七七〇)如月」、続いて「文化三年(一八〇六)桃月」となっており、最後は「文化十年(一八一三)正月」である。道後で遊女屋として成功を収めた人が、女体を商売の具とするための、門外不出の秘伝を記録したものであり、それを綿々と筆写で受け継いだ子孫は、金科玉条として家宝にしたもののようです。
そして…読み進めているうちに…

遊女といえば花魁や江戸の文化などに代表されるような芸能の表の面がありやす。
あまり語られないですが、裏の面は悲惨な境遇や病気など涙なしには語れぬ世界。
江戸時代の遊郭(吉原など)にいた女性たちの多くは、飢饉や重税に苦しむ農村から、家族を救うための「前借金」という名の身売りで連れてこられてきている。
さらには住み込みなので衣食住などにもお金はかかる。
稼いでも稼いでも抜け出せない借金地獄。

「花魁」の座に座れるのは、数千、数万人のうち、たった一人。
その陰には、光を浴びることなく消えていった、無数の「名もなき女たち」の屍が、山のごとく積み上がっております。
• 幼くして親に売られた禿(かむろ)たち。
• 冬の冷たい水でひび割れた手を見つめ
• 病を得れば「物」のように捨てられ、
• ついには「新造」にすらなれず、裏長屋で息を引き取る。
華やかな遊郭の裏手には、通称「投げ込み寺」と呼ばれる場所がございました。
死してなお、人間としての尊厳は与えられない。
「商売道具」として使い潰され、筵(むしろ)に巻かれて、文字通り「投げ込まれる」。
名前も残らぬ、墓標も立たぬ。ただ、無念の涙が、吉原の泥土に染み込むばかり。

ああ、これは涙無くして読めない…。
せつない…。
おっとっあん、おっかつぁん…アタシが行けば…家族は生き延びられる。
すまない…甲斐性のない父ですまない…
時代は違いますが、あゝ野麦峠や女工哀史なども思い出し、せつなくてせつなくて、読み続けることができなくなってしまったんですな。
なんせ本の初っ端から、店に連れてこられた女性を見分しとある。
見聞?何をじゃ?と思えば立ちションをする姿勢で立たせて女性の具合がどうか?と見聞し味見をして商品としてどうか?をみると…。
その後はしっかりと飯を食わせて栄養をつけさせ、見栄えを良くする。
このヒヒジジイめ!
人を人と思わぬ所業に、この人非人が!
と、本に怒鳴りつけちまったくらいでさ。
すまない、古の女性たちよ!君らの生きて残した技術、精神わしが引きつごう!
そう決めたからには、つらくなるところはささっと飛ばしてやりやしたょ。
だって、あの地獄の中で、彼女たちが必死で編み出した知恵があるんですから。
苦しみを知ってなお、相手を思い遣り、自分の身体を知り、生き延びるための叡智——
それを学ばずして何とする。

そこにいまだ知らぬ知識や世界があるからだ…
読み始めたら、今度はページをめくる手が止まらない。
そこには、現代人もびっくりの知恵(と執念)が詰まっていたんです。
まあ、夜のお仕事のテクニックも驚愕なのがいろいろありました。身体論として女性の疲労や負担を少なくし男性をとっとと満足させる法などいろいろ目白押し。これらも紹介とも思ったのですが、いくら秘伝の書とはいえそれによって苦しめられた女性を思うと…。なので割愛!
なのでアタシは精力剤などの話を拾っていこうと思います。
なぜ、精を温存するのが重要なのか!?
それはですな、東洋医学では人間のエネルギーとして腎というものがそれはそれは重要視されておりましてこれが江戸時代などでは養生法としても発展していたのですね。
「精液」は命の源、浪費は厳禁
当時の医学観(養生訓)では、精液は身体の根本的なエネルギー(腎水・精水)と考えられていました。
井戸の例え
精水(精液)は井戸の水に譬えられる。少々汲み上げても尽きる心配はないが、度を超えて汲み続ければ、水はやがて涸れちまいます。
このように、セックスのしすぎで精液を出し切ることは、寿命を縮める「害悪」として強く戒められていました。
なので年齢によって何回なら大丈夫などのような回数についての記述もございまして…。
とはいえ、70過ぎてもバンバン子作りしていたような方もいますしこれはもうもって生まれた精力の違いではないかとあっしは思うんですがね。
ですが、どんなに健康に気をつけていても、射精によって精気を失うことは「身体の根本を弱くする」ことだとされ、いかに「漏らさずに交わるか」が重視されていました。
この辺りは中国の房中術の影響を受けていますな。
面白いのは、お偉いさんが性生活も管理されてたんですよ。
今日はいいよ!明日はダメよ!
と、まあ考えてみればハッスルしすぎてあっさり亡くなっちまった日にゃー大変なことになります。なかなか、偉くなっても自由にできないなんてのはなかなか世知辛い気もします。ましてや、正妻だ、側室だ、なんだかんだと女性がたくさんいると順番が回ってこず持て余しちまう方も出てくる。そこで張り型の出番があったようでございます。
そして東洋医学から見る、江戸の性の秘薬
さっき「男は腎が大事」と言いやしたが、「じゃあ女はどうなんだい?」ってな疑問も湧いてくるのが人情でやす。
結論から言っちまえば、女は「肝(かん)」が重要なんですな!
1. お盛んか否かは「血室(けっしつ)」次第
東洋医学じゃあ、子宮のあたりを「血室」なんて呼びやす。ここは血が最も集まる、いわば「愛欲のガソリンタンク」でやすな。
• 血が満ちてりゃ、心もとろける。
タンクが満タンなら情緒も安定し、慈しむ心も愛欲も円滑に回りやす。
• 血が滞りゃ、触られるのも嫌:
逆にここが「瘀血(おけつ)」でドロドロだったり「血虚(けっきょ)」でスカスカだったりすると、脳みそ(神)までイライラしてきて、「セックスなんて煩わしい!」「触るんじゃねぇ!」ってな拒絶反応が起きちまう。これが「血の道症」の正体なんですな。
2. 液が足りないのは「血」が足りない証拠
東洋医学の方程式に「血汗同源(けっかんどうげん)」ってのがあります。
汗も血も、元を辿れば同じ「津液(しんえき)」から作られる兄弟分でやす。
• 潤い不足はサバイバルのサイン
疲れやストレスで血(津液)が枯れちまうと、あっちの潤滑液も物理的に出なくなりやす。
• 痛けりゃ嫌いにもなる
液がなけりゃ痛い。痛けりゃ防衛本能で「嫌い」という心理ブロックがかかる。これは性格のせいじゃなく、単なる「物理的な在庫不足」なんですわ。
3. 「鬱」と「ドロドロ血」の密な関係
「血が滞れば、心も塞がる」……これもまた真理。
骨盤の中に古い血が溜まると、気の流れも止まっちまう(肝気鬱結)。こうなると喜びを感じる余裕がなくなって、「セックスが好きじゃない」という状態になっちまうんですな。
で、江戸の世に出回っていた強壮剤や催淫材というのも御多分に洩れずこれらの機能を補うものでやんすな。
なんでも江戸の代表的な房中具・秘薬の店は、両国にあった四つ目屋忠兵衛店であるとのこと。引札には、「阿蘭陀ろう丸」や「女悦丸」、江戸のバイアグラである「長命丸」なんてのがあったようです。
男性の場合の、精力剤は腎を鍛えるものが中心!現在でもある八味地黄丸などに代表される地黄丸シリーズ。
では女性の催淫材がどんなものだったかをみていきやしょう!
説明によると
交合直前に男根に塗って挿入するか、指で直接に膣内へ塗り回すのである。 女はむず痒さを覚え、そこがほめくような感じになり、そのまま交合を行うと絶大な快感が得られるという代物である。
ではろう丸の内容をみてみると…
色道指南書の『宝文庫』(嘉永期―一八五〇頃)に、製法が記されている。
人参(朝鮮人参)
牛膝(ヒユ科の多年草。イノコズチ)
附子(トリカブトの塊根)
山椒(ミカン科の灌木。その果実)
龍骨(古代に棲息した巨大獣の骨)
肉桂(クスノキ科の喬木。樹皮)
細辛(朝鮮・満州産の辛子)
柘榴皮(ザクロの樹皮)
白礬(硫酸塩鉱物。明礬)
丁子(熱帯常緑喬木。蕾・果実)
麝香(ジャコウジカの内臓)
烏賊(頭足類の軟体動物の甲)
右十二味、目方各々等分、極細末になし白蜜にて練り、黒豆の大きさに丸ずべし。扨(さて)、上にかける蠟丸の拵(こしら)え方は、無患子(むくろじ)へ極上々の生蠟を溶かし掛けて丸くするなり。後ち乾きたる時、静かに小刀を以て二つに引割り、其中へ彼の丸薬を詰めて、蠟を火にて炙(あぶ)り、元の如く合せて丸くすべし。斯(かく)の如くする時は薬気外へ洩れず、久しく貯へてますます薬力盛んなり。
粘膜に対する刺激を促しているようですな。
面白いのが、これらを四つ目屋忠兵衛店のおやじが奥方に試すんですな。で山椒がたりないか?と女房に聞くとこれぐらいがよござんす。これ以上増やすとあそこがヒリヒリしてむず痒くて…というのまで残っていると…。
いやはや、なんともおおらかというか研究熱心というか…。
江戸には現代のバイアグラと似たような処方も!
阿蘭陀(オランダ)秘方 長命丸(ちょうめいがん)
この薬剤は、服用するものではなく、塗布剤である。交合の前に、この丸薬を口に入れて唾で溶かして、男根全体に塗布する。その時に「ひりひりと」した刺激があるが「驚くべからず」とある。男根が暖かくなったら、湯か茶か小便で洗い落とす。この薬剤の驚異的なのは、男根の「太さ常に優り、勢強くして淫精洩るる事なく、心任せ」という効能である。
そして抜き差しを行うと「玉門すぼく(窄まって締まりよく)」なって、女は愛液を流して歓喜絶妙に至る。さらに驚愕させられるのは、「腎水弱き人」や「老人」でもこの薬効で硬直さが調えられるという点である。現代のバイアグラに勝るとも劣らぬ性能ではないか。
なんでもすっかりご無沙汰の老夫婦でもこれを飲んで奥様大満足!という俳句も残っているようであります。
でも、バイアグラというのはいささか言い過ぎではないか?
ではどんな生薬をつかっているか?もみてみやしょう!
この薬の調合法を見ると、『閨中紀聞(けいちゅうきぶん) 枕文庫』初編(文政五・一八二二)に次のようにある。
丁子(ちょうじ) 一銭
阿片(あへん) 一銭
蟾酥(せんそ) 一銭
紫梢花(ししょうか) 一銭
龍脳(りゅうのう) 五分
麝香(じゃこう) 五分
右七味、細末(さいまつ)に練り、交合の半時ばかり前、亀頭に塗り、洗い落して行ふべし。其の妙神のごとし。
ふーむ。なかなかの処方ではあるけど…。
たしかにこの蟾酥などは強心作用がある。紫梢花は補腎。 他は血流促進など。生薬としての理屈は立つ。
しかし、だ。
「男根が常に優り、勢強くして淫精洩るる事なく」 「心任せ」 ……いや、待て。これは最高か?やたら都合よくないか? 江戸の医学観では「腎」を鍛えると精力が出る、と考えた。 そして秘薬を飲めば「老人でも硬直が調えられる」と書いてある。 だが、本当にそこまで効くのか?
いや、しかし……。
江戸の男たちは、この秘薬を信じた。
「これを飲めば」と思い込んだ。
その心理的効果が、実は半分以上なんじゃないか?
いや、むしろそれでいいんじゃないか?
考えてみりゃあ、江戸の人間にとって「効く」ということと「気が高まる」ことは、 別のものじゃなかったんですわ。
東洋医学の基本は「気」だ。
氣が満ちれば、身体は応じる。
秘薬の成分よりも、「この薬は効く」という確信が、 腎の気を高め、陽を盛んにさせるんじゃないか?
さらには名前だけですがこんなものも…「危檣丸(きしょうがん)」
さきほどの「長命丸」は塗り薬だったのですが、こちらは服用薬。しかし、何が入っているのかは明らかにされておらず…。
秘伝薬だったようです。とはいえ、オットセイや馬の陰茎に丁子や、高麗人参などの系統ではないか?と、踏んでおりやすがね。
これらは、希少性の高いものは珍しいので効く!効くー!!と思っちまいますわなわな。
さらには、民間療法というか習俗にこんなのもあったようでやんす。
肉屏風、寝添い。いわゆる高齢男性の腎気を補うような目的があったと思われます。
肉屏風とは何か?
歳をとると、身体の中の『気』が乏しくなり、一人では寝られなくなる。
だから、寒さが厳しい折は、若くて肥えた女中を左右に添い寝させるのが望ましい
というのあったそうです。これは東洋医学的には理解できない。まあ、強いてあげれば年取って産熱が弱いから人肌であっためろ!というとこでしょうか?
そして、これをはたからみると、屏風のように見えるということで肉屏風といわれていたとかいないとか。
しかし、これは衰えた老人の体温を保ち、若い<気>を分けてもらうための切実な健康法。
ただし、これを行うには条件がございまして女性に情欲を刺激されなくなった、枯れ木や灰のような状態になってからでなければならないとのこと。
少しでも欲を出して精液を漏らしてしまうと、かえって寿命を縮める「自殺行為」になると戒められています。

肉屏風は肉屏風ですが…
とても眠れそうにはありませぬぞ?
這々の体で抜け出した埼玉に秘密の宿の「寝添い(ねぞい)」の情報が!
なんでも完全に入眠した美女と添い寝をさせてくれる秘密の宿があったそうな。
まあ、これまた条件がございまして
・決して女性を起こすべからず
・女性にいたずらするべからず
これもまた、性的興奮を抑えつつ相手の熱や気をもらうという—— つまり、性欲と健康を分離せず、身体全体の「気」と「血」の流れで 人生を完うするか——そういう根本的な問いに、真摯に向き合っていた証拠なんですわ。
禁欲的ではない。むしろ、徹頭徹尾おおらかだ。
ストイックとはいえ、なぜ入眠した美女なのか?という疑問が…。

秘密の宿に迷い込みし埼玉…
さ、埼玉よ!目を開けるんだ!
逆に生気を吸われているぞ!!
……しかし、だ。
その時、わしが読んでいた「江戸の性愛術」の言葉が甦ったんですわ。
そこにあったのは、笑いがあり、肉感があり、性を含めた人間の営みを、
ごく自然に、ごく当たり前に受け入れている——江戸のおおらかさだったんですな。
それがこの先、黒船とともにやってくる プラトニックな「恋愛」という観念に、 ことごとく蹂躙されていくんだ。
だからこそ、わしはここに立ち止まる。
江戸の性愛術を学ぶことは、 失われた何かへの——いや、盗まれた何かへの 弔いなんですわ。
次回予告
黒船がやってきた!
江戸っ子、南蛮渡来のLOVEにとびついて……
いや、とびつかされて。
それまで肉体と精神が不可分だった江戸の人々が、
プラトニックという舶来の観念に揺さぶられ、
身体と心が引き裂かれていく——
その阿鼻叫喚の幕が、いま上がろうとしている…。
おまけ…
執筆作成に協力してくれたみなさまと…パシャリ!

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