【患者になってわかったこと】心房細動手術を受けて気づいた「心の記録」
序章:施術者しての慢心と、「キングエンジン」の轟き
動悸は鍼灸の勉強で「異常な状態」だと理解していたはずなのに、いざ自分の体に起きてもそれが異常とは気づきませんでした。これは胆石疝痛発作の時も同様でしたが、自分自身に対する謎の自信があり、「俺の体はこんなことは屁でもない!」と思い込んでいたのです。
50過ぎまで病気知らずで、元気に過ごし、酒を飲み、美味しくご飯を食べることが一番の健康法だと信じきっていました。
7年前に胆石症でお世話になった先生に定期的に診察をお願いし、大腸内視鏡や胃カメラ、検診を受けていました。その検診で心臓の異常を指摘されても、不整脈ではあるが「これは問題ない」とお墨付きをもらっていた時期もありました。
しかし、何年も何年も「心臓に異常があり、精密検査が必要」とコメントに書かれると、さすがに専門の先生に見てもらった方がいいと判断。循環器内科の先生に相談し、さらには携帯型心電計も購入して自分でも計測を始めました。
ここ数年は「こんな波形がでていましたよ」と定期的に見せていましたが、基本的には問題のない期外収縮ばかりで、24時間ホルター心電図でも異常なし。これで問題ないのだろうと思っていました。
ただ、もう何年も前から寝ているときに、ぐらぐら!っと大地震がきたような揺れを感じることがありました。朝起きたときに「昨日の地震はひどかったなー」とどれくらいだったんだろう?と自身のニュースを探しても、特に地震は起きていない。あれは夢?あるいは何だったのだろうか?ということが年に数回ありました。
あたかも、『ワンパンマン』の漫画でキングが緊張して**「キングエンジン」を鳴り響かせるような、あの効果音のような感覚です。キングの場合は単にドキドキしているだけですが、それが自分の体がぐらんぐらん揺れているような感じです。横になっていることもあり、特に倒れるようなこともなかったし、めまいのようなこともなかったので重大なこととは全く思っていませんでした。
この最初の違和感、そしてそれを「年のせい」「こんなもんかな」とプロである自分自身が見過ごしていた慢心**こそが、今では一番の反省点です。
第1章:診断、妻の一喝、そして緊急発動
そしてある時、決定的な事件が起こりました。
夕食後の皿洗い中に、立っていられないほどの動悸と目眩に襲われました。心臓が飛び跳ねるような感覚と、視界がぐらつく感覚。「あれれ!?立っていてこんなにひどいのは初めてだ!」と感じながらも、「寝不足か」と自分をごまかそうとしていました。しかし、明らかに様子がおかしい自分に、妻が「明日、絶対に循環器内科へ」と一喝した時の衝撃は忘れられません。プロの自負があっても、身内から見ればただの患者の卵でしかなかったのです。
翌日、持参した携帯心電図の波形を見せたところ、「心房細動、手術適応」と即座に診断されました。その瞬間、頭では「やはりそうだったか」と冷静な自分がいる一方で、驚きと戸惑いも同時に感じました。同時に湧き上がったのは、「何年も前からあったことなのに、なぜ今まではっきりとした波形が取れなかったのか」という疑問でした。さらに他の保存しておいた異常データを確認したところ、携帯心電図を購入した当初、つまり2年前からすでに問題が出ていたことが判明したのです。
そして、すぐに頭をよぎったのは、自分の手術よりも患者さんの予約調整でした。「しばらくお休みをいただくことになります」とすぐに連絡を入れなければというプロとしての責任感が、手術への恐怖よりも優先されたエピソードです。
第2章:命の危機より切実だった「尿瓶の恐怖」
過去の手術経験(胆嚢、前立腺など)があったため、手術そのものへの抵抗は不思議とありませんでした。
しかし、昨年受けた右肩の手術もあり、「一年間は間を空けたい」という思いがありました。「毎年手術しているって施術者としてどうなの?」という葛藤と、心房細動による脳梗塞などのリスクという病気の進行スピードとのギャップに悩みました。
そして、命に関わる心臓の手術以上に切実な懸念だったのが、カテーテル手術の最大の関門、**術後の安静時間における「尿瓶の使用」という過去のトラウマでした。右肩の手術で味わった、あの「悲劇」と不快感。これだけはどうしても避けたかったのです。
先生に正直に打ち明け、「それが最大のストレスです」と伝えたところ、「即座にカテーテルを入れましょう」と返答され、最大の懸念からの解放と、手術への最終的な覚悟が決まりました。尿道カテーテルが使えるなら、あとはどうにでもなる、そう思えたのです。
第3章:戦闘態勢への切り替えと手術室のリアリティ
入院日には落ち着いていたのですが、手術時間が「朝イチ」から「2番目」に変更になったことで、予期せぬ不安と焦りが生じました。人間、予定が狂うと動揺するものです。
その不安を乗り越えるために聴いていたのが、『ワンパンマン』や『進撃の巨人』といったアニメの「戦闘曲」でした。あの勇ましい音楽を聴くことで、心の起動スイッチを入れ、「戦闘態勢」へと切り替えました。これは、自分自身を鼓舞するための自己防衛行動だったのかもしれません。
普段はジャズを聴くことが多いのに、緊張感からか選曲が勇ましいものに変わりました。しかも、最近のお気に入り『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい!』の主題歌、松崎しげるも参加しているのが最高で、大いに元気をもらいました。
手術台の上に寝転がると、「全身麻酔か部分麻酔か」という不安すらも、「どんな経験も味わってみるか」というプロとしての好奇心に変わりました。
そして、体に塗られた消毒液の冷たさ、そしてすぐに感じる暖かさ(玉袋までびしゃびしゃになった感覚)という、五感に訴える最後の記憶が鮮明に残っています。その冷たさと暖かさが混ざる中で、私の意識は途切れました。
第4章:術後の混乱と予期せぬ代償
以前の手術時とは異なり、目覚めは看護師さんに「穏やかに呼ばれた」ものでした。
麻酔による意識の混乱は予想以上で、家族がお見舞いに来た記憶がないほどでした。夕食から通常食だったのですが、眠くて眠くて仕方がない。ベッドで食べるように言われていたのですが、油断するとスプーンを持ったまま眠ってしまう。あたかも「赤ちゃんのように」意識が途切れ途切れになる状態でした。
尿道カテーテルによる排泄は、やはり安堵を与えてくれましたが、その一方で、ペットボトルをこぼした際に「おしっこが漏れたか?」と疑うほどの意識の混乱もありました。
術後の安静時間は朦朧としていて、足の痛みは気にならなかったのですが、その後、「靴下を履けないほど盛り上がり、足をひきずるような」**硬さ(内出血)となって現れました。これはカテーテル挿入部が引き起こした、予期せぬ代償でした。
また、以前はあまり感じなかった、尿道カテーテル後の痛みも大きな試練でした。「出したいけど出すと痛い。痛いので出したくない」という葛藤。尿意はあまりなかったのですが、排泄のたびに痛みが伴うというのは、手術を乗り越えた後の新たな苦痛でした。
とはいえ、右肩の手術のときに、尿瓶を使ってなかなか出ないのに業を煮やした看護師さんがお腹を押してきたり、少しずつ出るからと尿瓶を挟んでおいたものが途中で溢れ出して慌ててナースコールをしたという悲劇を経験した自分には、耐えられる痛みでした。
終章:病気との「不完全な共存」という現実
術後、心臓に不整脈を感じ、「あれ?心房細動じゃね?」と感じ、看護師さんにも「出ていますね」と言われました。ただ、術後はまだ不整脈が出る期間があること、通常三ヶ月以内での再手術はないとのことなので、あまり気にはしていません。
あまりにも不整脈が頻発するので、妻がセカンドオピニオンへの言及をした際も、「変わらない気がする」と判断した、病気に対する達観した姿勢が私の中にはありました。これは、プロとして病を看てきた経験からくる、ある種の悟りなのかもしれません。
この体験を通して改めて得た悟りは、自分の無頓着さを反省しつつ、「人間、死ぬこと以外みんなかすり傷」という言葉を借りて、完全ではなくとも病気と前向きに付き合い、過度に恐れないよう読者にエールを送ることです。
病は誰にでも訪れます。しかし、それを恐れることなく、不完全であっても共存していくことが、施術者としても、一個人としても、大切なのだと心から思います。
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