ショートショートと言えば、星新一よりも横田順彌 ※個人の見解です|エッセイ(1349文字)
新御三家なら野口五郎、たのきんトリオなら野村義男、ロック御三家ならChar。
小学校低学年の頃から、私はメインストリームのど真ん中よりも、ほんの少しだけ脇に逸れたところにいる人たちに惹かれてきた気がする。スポットライトの中心で華やかに輝く人よりも、確かな技術やユニークな存在感を武器に、自分のペースで表現を続けている人たちのほうが、なぜか気になる。目立たないけれど(失礼!)、そこにしかない味わいがある――そんな感覚に導かれるように、私はいつも“端っこ”を見ていた。
そういう傾向は、読書にも表れていたと思う。
たとえばショートショート。
このジャンルといえば、日本では誰もがまず星新一を思い浮かべるだろう。無駄を削ぎ落とした洗練された文体、短いながらもぴたりと落ちる結末。たしかに素晴らしい作家だ。でも、私がもっとも影響を受けたショートショートの書き手は、星新一ではなかった。
横田順彌――それが、私にとっての“ショートショート作家”だった。
彼の作品を初めて知ったのは、私が高校生になった頃だったと思う。俳優・富田靖子のラジオ番組「チャレンジ名作ライブラリー」で横田順彌の作品が朗読されたのだ(ネット上で調べても裏が取れないが、私の記憶ではそうなっている)。紹介されていたのは「対人カメレオン症」という作品。初めてそのタイトルを耳にしたときは、「カメレオンショー」だと思ってしまったが、聴いているうちに「カメレオン症」だと理解した。私は、その内容のナンセンスぶりに、すっかり魅了されてしまった。こんな物語があるのかと、目から鱗が落ちるような思いだった。
それ以来、当時書店に並んでいた横田順彌の文庫本を片っ端から買い集めるようになった。どの本にも、ページをめくるたびにニヤリとしてしまうような言葉遊び、突飛な発想、そしてどこか人を食ったような構成がぎっしり詰まっていた。変に説教じみたところがなく、教訓やメッセージを押しつけるわけでもない。ただただ面白くて、くだらなくて、そして見事に完成された世界が、そこにはあった。
「ハチャハチャSF」とも言われた横田順彌作品の魅力の一つは、「言葉遊びひとつで物語ができてしまう」ような軽やかさにあると思う。たった一つの単語やネーミングが、気づけば物語の核になっている。そして、その世界観が破綻せずに最後まで続いているのだから、これはもう“技巧”の域を超えた才能だろう。物語というより“発明”に近いような印象すらある。もちろん、後年古典SFや明治文化の研究でも著名になったように、その知識量にもしっかり支えられていたのだと思う。どの作品も、わずかな文字数で世界を作り、笑わせ、驚かせ、読後に「やられた」と思わせてくれる。
この「ちょっと脇道にあるけれど、他に代えがたい面白さ」に私はずっと救われてきた気がする。大きな物語も好きだし、正統派も否定はしないけれど、やっぱり私は“端っこ”が好きだ。そこには、自由がある。人にどう思われるかではなく、自分が面白いと思えるかどうかを軸にしている感じがする。そんな世界にふれると、私はなんだか「格好つけない自分のままでいていい」と言われているような気がするのだ。
メインではないかもしれない。でも、私にとっては、“端っこ”が真ん中なのだ。
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