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今週の判断知メモ|ただの一言が、危機になることがある

今週の判断知です。

ただの一言が、危機になることがあります。

たとえば、共働きの生活で。

「手伝うよ」

言った側にとっては、善意かもしれません。

助けようとしている。
協力しようとしている。
相手の負担を減らそうとしている。

でも、
受け取った側には、別の意味で届くことがあります。

手伝う、ということは、これは私の担当なのか。
あなたは補助で、私は主担当なのか。
言わないと動かないものなのか。
家庭のことは、私が管理して、あなたが手伝う構図なのか。

事実としては、ただの一言です。

でも、その一言が、
「自分だけが家庭を管理し続ける危機」
として立ち上がることがある。

「今日、夕飯どうする?」

これも、
言った側にとっては、ただの確認かもしれません。

でも、受け取った側には、

また私が考えるのか。
また私が決めるのか。
食事の段取りまで、私の頭の中に置かれているのか。

という意味で届くことがあります。

「それ、まだ終わってなかったの?」

これも、
言った側にとっては、ただの確認かもしれません。

でも、受け取った側には、

終わっていない理由は見えていないのか。
他にもやっていたことは見えていないのか。
結果だけ見て、過程は見えていないのか。

という意味で残ることがあります。

同じ一言でも、意味が違います。

言った側にとっては、善意。
受け取った側にとっては、役割の偏りが続くサイン。

言った側にとっては、確認。
受け取った側にとっては、考える負担がまた自分に戻ってくるサイン。

言った側にとっては、ただの質問。
受け取った側にとっては、見えていなかったことへの寂しさ。

だから、危機は事実だけで決まりません。

その出来事が、何を意味するのか。
何を揺らしているのか。
どんな未来を予感させるのか。

そこによって、危機になるかどうかが変わります。

危機を読むとは、
「何が起きたか」を見ることだけではありません。

その出来事が、
自分の役割を揺らしているのか。
相手への信頼を揺らしているのか。
関係の前提を揺らしているのか。
未来への不安を生んでいるのか。

そこを見ることです。

今日の判断知は、こうです。

危機は、事実そのものではなく意味づけで動き出す。

同じ一言でも、
ある人にはただの出来事で終わり、
別の人には危機として残ることがある。

だから、危機を扱う前に、
その出来事が何を揺らしているのかを見る。

今週の記事では、
この「危機の意味づけ」について書きました。

▼火曜記事はこちら

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