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20代、こんなはずじゃなかった

小学生の頃「これ書いて!」と友人に渡されたプロフィール帳の項目に、
けっこんはなんさいでしたい?
こどもはなんさいでほしい?
という質問があった。
それぞれ23、25と書いたのを覚えている。

現在、私はその年を優に超えている。
結婚、子供。考える余裕が未だに無い。

自ら今の道を選んだ。だから言い訳は出来ない。
だけどその頃の同級生は皆結婚した、出産した、家を買ったと言っていて、ライフステージが上がっているのを肌で感じる。
同級生が同級生でないような感覚。
同義、私だけ成長していない現実。
これまでの人生の選択を振り返り、これで良かったのかと考える夜がある。
20代、こんなはずじゃなかった。


私は生まれてから学生時代までを関西で過ごし、20歳を過ぎてから東京に住み始めた。
20年以上関西に住んでいたのに、関東の空気の方が自分には合っていた。
地元に居た頃からずっと上京に対して憧れはあったが、なかなか一歩が踏み出せなかった。
そんな中、「とある感染病がこれから各地で猛威を振るうかもしれない」というネットの記事を目にして、このタイミングを逃すと次はいつになるか分からないと思い緊急事態宣言が出る少し前に私は東京へ引っ越した。2020年の春だった。

東京に着いてすぐ新居の鍵を受け取りに改札を出たとき、既に街からは人がほとんどいなくなっておりテレビや雑誌で見ていた東京の雰囲気とは一変していた。
当時、「これが元に戻るのは長期戦なんだろうな」と思った記憶がある。
実際そこから想像以上に生活が制限されて、「上京のタイミングを逃さなくてよかった」という思いと「何の為に東京に出てきたんだ」という思いが暫く交錯していた。新卒一年目になる年だった。

同級生はそうだった。私は新卒になれなかった。
地元の大学に通っていたが事情で辞めてしまい、怒る親から逃げるように上京をしてきた。
コロナの影響で同級生の卒業式は中止になった。
袴を着て楽しそうにしている友人をSNSで見なくて済んだ。
ちょっと安心している自分が嫌だった。

東京でやりたいことは沢山あった。
だが上京が出来ただけで、コロナによる色々な制限の為そのほとんどは出来なかった。
20代がこんな風に潰れていくなんて、想像もしていなかった。
ただ時間が流れていくのが悔しくて、何か抗わなければと思った。

悩んだ末、やりたいことをやることにした。
私は芸人になった。
周りは大層驚いていた。
確かに学校でも家の中でも意見を主張せずおとなしく過ごしているような人間だったので、俯瞰で見ても芸人になるタイプでは無かった。
しかし自分が悩んでいるその間、周りの同級生は良い企業に就職し、研修が始まり、配属先が決まっていく。自分だけが何も進んでいない。
居ても立ってもいられなかった。
芸人の養成所の門を叩いた時、気付けば上京してから一年が経っていた。


小学六年生の夏、三者面談で担任は私の母にハッキリと「周りに流される子ですね」と言った。
それくらい、どの場でも自己主張をしなかった。
幼稚園から小学校低学年ぐらいまではどの場でもちゃんと自分の意見を言える子供だった。
でも高学年になりいつも遊んでいたグループで自分だけ違う意見だったとき、そこから一時的に友達に仲間外れにされた経験から「人に合わせる方が平和なんだな」と自分の意見は言わずに過ごした。
そういう過去があるんです、という言葉も担任に言えず面談は終わった。
その帰り道私はいつ怒られるのかと身構えていたが、母は私に怒るでも諭すでもなく何も言わなかった。
きっと私のその性格はどちらの血か、分かっていたからだと思う。
あれから15年以上経った今もその担任の言葉は私の中に色濃く残っている。

基本的に私の原動力は「見返す」で出来ていて、
高校生の頃に一度中学の同級生とコンビを組みお笑いの大会に出たことがあった。
組んだきっかけは2人とも同じバレー部の補欠で、レギュラーでは無かったからか日々顧問やチームメイトから嫌がらせを受ける標的になりやすく、「その人達を見返そう」と誓ったからだった。
当時の相方は私から見るとかなりお笑いの才能があり実際出た大会では評価もされていたので、一緒にプロになろうと熱心に口説いていたがその甲斐もなくその子は高校卒業と同時に就職をしてしまい、コンビは自然消滅となった。
一人でお笑いをやることも考えたが当時全くビジョンが見えず、そもそも芸人は積極性がないと厳しいだろうと思い私もそのままフェードアウトしてしまった。
向いていることをしたくない相方と、向いていないことをやりたかった私。かなり滑稽だなと思った。

それから芸人になることは完全に諦めていたが、先述した通り「後悔したくない」という気持ちだけでお笑いの世界に戻ってきた。

今はXやインスタグラムなどのSNSで、人の近況が簡単に分かるようになった。
自分から連絡を取らなくても、投稿を見れば誰が何をしているのか簡単に目に入るようになった。
企業のリーダーになっていたり、海外で生活をしていたり、家庭があったり、同じ学舎だった同級生が枝分かれをして色んな人生を送っていた。
私は芸歴が5年目になり、「若手ではあるがそろそろ結果を出さないと」という時期になった。
養成所でコンビを組んだ私はそこから日々もがきながらネタを作っているが、笑ってしまう程何も結果に繋がっていない。
10年20年やってやっと結果が出る人も居る世界で、今向き不向きを判断するのは早いのかもしれない。
でも「自分の意見を主張していく仕事」を日々やっていく中で、これまでの人生で「自分の意見を出さないこと」を選択してきた私にとって上手くいかないことも多く、「辞めたくはないが、辞めないといけないのではないか」と思うようになった。
そんな中「売れている」という言葉で足りないくらい、「結果」「評価」「好感度」という私が欲しいものを全て持った一人の先輩が私たちコンビに話し掛けてくれた。

「ネタ見たよ。何かあると思うんだよ。上手く言えないけど。辞めるとかは違うと思うんだよな。」

売れるには、「見透かす」能力も必要なのかと思った。私の迷い、足掻き、全てバレていた。
でもこの言葉で私は魔法のように救われた。
根拠はないかもしれないが、この言葉を現実にする為に今日も私は頑張っている。

これまでの人生において、自分の「行動力」は昔から割と良い方に作用したことが多かった。
なので上京すること、養成所に行くことに関しては、あまりマイナスに考えていなかった。
ただ今でも「これで良かったのか」と思っていることがある。大学を中退したことだ。

勿論、良くは無かった。
でも家庭の事情で大学にかかる費用全てを賄わなければならず、本業がどちらか分からない程泥のように働いて精神を病んでしまった自分のことを考えると、仕方なかったとも思う。
大学の友人達にはほとんど自分から何も言わずに学校を辞めた。
有難いことに心配した何人からか連絡が来て、実際会ってくれる人もいた。
勿論「なんで辞めたの?」という会話からのスタートになるのだが、本当の理由を言ったところで、という冷めた感情が頭の中を支配して結局何も言えなかった。
今思えば自分が考えていることをただ言えば良かったのに、それに対して相手がどんな反応をするかが怖かった。
でも相手からすると、何も言わない=意見が無い=大した考えが無いんだなと捉えられても無理はない。あの時の担任の言葉が蘇る。
大人になっても意見の主張が出来ない。
私は何も変われていないと思った。

そのようなことが何度かあり完全に自分の蒔いた種ではあるがなんとなく気まずくなって、自分の判断で大学の友人達と関わるのをやめてしまった。
だが昨年の夏、突然その一人から「是非来て欲しい!」と結婚式の招待があった。
彼女からすればまだ私は「大学時代の友人」なんだと素直に嬉しかった。

式当日、久々に会った友人はあの頃と変わらない雰囲気を残しつつウエディングドレスを着て新郎と楽しそうに微笑んでいる姿が随分と大人に見えた。
これまで結婚について「段階として自分にはまだ早いし、別にしなくてもいいか」ぐらいに捉えていた。
だが式の帰りには、余韻に浸りながら「将来的には結婚するのもありかな」と思えていた。
「自分ってただ考え方が極端なだけで面倒くさい人間なだけか?」
やっと自覚出来た日でもあった。

3ヶ月後、今度は高校の友人の結婚式があった。これまで一度もそんなことはなかったのに、他の友人からもその後幾つか結婚の報告を受けた。
これが所謂「ラッシュ」かと思った。
この状況に、大学を辞めた直後の自分ならとても焦りを感じていたと思う。
でもその頃には「周りは幸せそうなのに、自分はどうにもならない。」という上京時の絶望的な感情は無く、人の幸せを素直に喜べるようになっていた。

きっと上京してすぐの自分、もっと遡ればプロフィール帳を書いていた小学生の頃の自分はそれが全ての理想であり「幸せ」だと思っていた。
20代で結婚して、子供が産まれて、忙しないながらも充実した毎日を送っているのが当たり前なのだと疑わなかった。
勿論それが幸せの一つだと思うのは今も変わらない。
しかし当時の私は「それが実現出来ていなければ幸せではない」と思っていた。
だからその頃の私が今の私を見たら、理想とは違う人生になっていることにショックを受けるだろう。その点に関しては、過去の自分に申し訳ないと思っている。

でも今は一度諦めた仕事が出来ていて、長い間憧れていた人から直々にエールを貰い、少しずつではあるが舞台上で自分の意見を主張出来るようにもなってきた。
今の自分にとっては、これが「幸せ」なのだと思う。
当分この幸せを噛み締めたいので、仕事のプレッシャー以外は抱えずに生きていきたい。

もうすぐ私は20代として最後の一年を迎える。
あの頃想像した未来とは違うけれど、今私はとても幸せで充実した毎日を生きている。
20代、こんなはずじゃなかった。

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