「そんなはずない」と叫び続けた私へ。——わが子の障がいを受け入れられなかった頃のこと
わが子に障がいがあるかもしれない。
その現実が、どうしても受け入れられませんでした。
保育士として知識はあったはずなのに。
むしろ、知っていたからこそ、わが子には絶対に当てはまってほしくなかった。
ヒカルとトウマが2~3歳のころ。
私が一番もがいていた時期の気持ちを、今日は書いてみようと思います。
わが子に障がいがあるとは、とても思えませんでした。
保育士として、発達の知識は持っていた。けれど、自分の子どもとなると、冷静ではいられなかったんです。俯瞰してみるなんて、とてもできなかった。
「ふつうだと思いたい」「まさか、うちの子に限って」
今思えば、どこかで聞いたような、ありきたりな言葉ばかりが頭に浮かんでいました。
療育の方向へとやさしく導こうとする人たちに対して、
私はまるで、敵からわが子を守る親鳥のように、必死で鳴き続けていた。
「そうじゃない」
「そんなはずない」
「ちがうと誰か言って…」
でも、日に日に特性は色濃くなっていきました。
手を目の前にかざしてものを見つめる。
つま先立ちで歩く。
トミカを、目線の高さにある机の上に、一糸乱れず並べる。
強いこだわり。人への興味の薄さ。
それでも、私はフタをしました。
ほんの1㎜の「そうじゃないところ」を見つけては、自信に変えていたんです。
たとえば、目が合うこと。
「2人とも、しっかり目は合う」
児童館で私の膝に座って、紙芝居を落ち着いて見ていたこと。
「こんなふうに過ごせているから、大丈夫なはず」
ちがうと思いたかった。
「道をはずれる」ことが怖かったんです。
そして、知らない道を歩くのが、正直イヤだった。
でも、どこかでは、もう分かっていたんだと思います。
ヒカルも、トウマも。
きっとそうなんじゃないかって。
けれど、認めるのが本当に、つらかった。
ヒカルとトウマが2~3歳のころ。
あの頃が、振り返ってみてもいちばんつらかった。
「わが子が定型発達だと信じたい気持ち」と
「もう分かっているけれど、受け入れたくない気持ち」の間で私はずっと揺れ動いていました。
次回は、そこから私たち親子3人が、週5日間の親子療育へと通いはじめた頃のこと。
気持ちがどう変わっていったのか、あの頃の私の中に起きた小さな“ほころび”について、書いてみたいと思います。
💌 読者のみなさまへ
読んでくださって、ありがとうございます。もし心に残ることがあったら、感想を聞かせていただけたらうれしいです。
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同じような気持ちを抱えている方に、そっと届きますように。
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🧡 自己紹介
はじめまして、りぼんです。最重度と重度の知的障がいがある自閉スペクトラム症の双子の息子たち(ヒカルとトウマ)と、定型発達の長女の母をしています。
保育士として働きながら、悩んだり泣いたり笑ったり、日々を家族と歩いてきました。
このnoteでは、かつての私のように悩んでいる誰かの心に、そっと届くような言葉をつづっています。
ひとりじゃないよって、伝えたくて。
