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マラソンは自分一人の戦い

生憎、朝から大雨が降っていた。
雨予報なのは数日前から把握していたので、事前に100円ショップで買っておいたレインコートを被り、スタート地点へ向かって歩く。
11月の雨はやはり体が冷える。
自分の手が少し震えていることに気がつくが、緊張しているのかただ寒いのか、自分の心境がまるでわからない。
ムズムズ、ソワソワ。
トイレは朝からすでに3回行った。
それでも、また行っておいた方がいいのかな、と不安になる。
ああ、どうやら緊張しているな、これは。

今日は、福岡マラソン当日。
人生で初めて42.195kmの完走に挑む日。
ゴールできるのだろうか、怪我しないだろうか、体調が悪くなったらどうしようか。

そして、もし無事にゴールできたら、自分は何を思い何を感じるのだろうか。

その答えを早く知りたくて、スタートの合図をまだかまだかと待った。

歓声が聞こえる。
どうやら先頭集団から順にスタートし始めたらしい。
溢れんばかりのランナーの波が少しずつ流れ始めた。
ジョギングペースですら走れないほど周りに人が多く、焦るな焦るな、とゆっくり進むしかない自分に言い聞かせる。
空はいつの間にか晴れていた。
がんばれ!と横断幕を持って沿道に立つ夫に笑顔で手を振る。
よし、頑張ろう。
スタート地点にあったゴミ箱へレインコートを脱ぎ捨て、私のフルマラソンが始まった。

「え、完走したら何か貰えると?」
福岡マラソンへ申し込んですぐの6月、気持ちが高まっている私から報告を受けた友人は、気が狂っているのかと言わんばかりの目でこちらを見る。
メダルとタオルが貰えるんよ!と、そんな目にも屈せずワクワクしながら私は答える。
メダルとタオル・・・とその友人は少し困惑した顔をし、それしか貰えないのに42.195kmも走るのかと呆れたようで、その会話はそれで終わった。

もともと結婚式前のダイエット目的でランニングを始めていたが、体型変化の効果はなかなか現れず、でもせっかくウェアとかシューズとかも揃えたし、ダイエット以外に目標となる大会があってもいいんじゃない?と軽い気持ちで福岡マラソンにエントリーした。

昔から長距離を走ることに対して苦はなく、大好きな地元福岡の街中を走れることに憧れもあった。
いつも買い物をする馴染みの天神でスタートを切り、糸島の海を見ながらゴールへ向かって走るなんて、絶対に楽しくて幸せな思い出になるに決まってる。
陸上は体育の授業でしか経験がないけれど、30歳を過ぎ何かに挑戦する機会も減ってきた人生だったので、ここはひとつ、大学受験以来の「努力」をしてみようと意気込んでいた。

フルマラソンを意識した練習は、本番まで半年も残っていない状態からスタートした。
目標はあくまでも「完走」。
当時のタイムでは完走するのに6時間を超える見込みだったが、スピードを求めることはせず、途中で止まらず走ってゴールすることを目指した。
ランニングの解説をしたYouTubeを片っ端から再生し、自分の走る姿を動画に撮りチャットGPTに改善点を尋ね、自分に合った走り方の研究から始めた。
足の着地は体の前に出過ぎないよう、真下に、真下に。
太ももを上げるのではなく、お尻の筋肉で足全体を持ち上げるように。
上半身を前傾して、肘を後ろに引きながら正面を見る。
地面に着く足裏から全身の隅々までをひたすらに意識して走った。

平日の日中はフルタイムで仕事をしていたため、夕食が終わった夜の21時ごろが主に練習時間として定着していた。
走りたくない日もあった。
というか、走りたくない日ばかりだった。
だって走るのはきつい。
長距離を走ることに苦はないなどと先ほど申し上げたが、素人の30歳が言う「長距離」ってせいぜい最長5km程度で、仕事終わりに10km近くを走る日々は本当にきつかった。
いや、走ることだけじゃない。
夕食後、ゴロゴロしたい気持ちを抑えながらピチピチとしたウェアに着替え、準備運動をし練習開始。
そして走り終わったらクールダウンのストレッチをし、シャワーを浴び、寝る前にマッサージをし、翌日はまた朝から仕事。
走る以外にも時間や体力を使う工程が多く、その面倒臭さを思うと走ること自体からも逃げ出したくなった。

でもさ、参加料16,000円払ったしさ。
可愛いウェアも、かっこいいシューズも買っちゃったしさ。
そして何より、大会本番の自分がちゃんと完走できるように、毎日重い腰を上げ暗い夜道を走り続けた。

大人になり、勝負に対して苦手意識が強くなったように思う。
他者との勝ち負けで生じる精神状態の波にストレスを感じ、なるべく勝負事を避けるようになった。
でも、マラソンは自分一人との戦いだって聞くから。
他者はいない、自分一人の挑戦。
一人で走り、一人で耐え、一人でゴールする。
自分に対する勝負なら、避けずにやってみても良いかもと思えた。

はぁ、はぁ、はぁ、、、
天神地点をスタートしてから5kmほど過ぎた。
え、まだ5km?と疑うほど、ペースはゆっくりだった。
前後左右とランナーの数が多く、追い越して進むなんて不可能な状態で、このままだと練習通り走れずに体力がもたないかもしれない。
雨上がりの蒸し暑さにじわじわと息も上がっており、正直すでに歩きたかった。

がんばれ!
ナイスラン!
ファイト!
沿道にいる人からの応援は、ここで歩くわけにはいかないよね、と私を鼓舞した。
ありがとうございます!となるべく一人一人へ返事をし、笑顔で走りきるぞと新たに目標を立てた。

本番2ヶ月前の9月、毎日10kmを走ることにも少しずつ慣れてきたある夜、いつもの練習途中で激しい雨が降り始めた。
すでに自宅から離れた場所まで来てしまい、すぐに引き返すこともできない。
スマホは持って出ていなかったため、夫に車で迎えに来るよう連絡を入れることもできない。
全身に激しく当たる雨は容赦なく、コンタクトレンズまでも流れ落ちてしまいそうな勢いだった。
ずぶ濡れになりやっとの思いで自宅に戻ると、夫がお風呂を沸かして待っていてくれた。
「お疲れ様、風邪ひかないようにね」
突然の雨でずぶ濡れであろう私を心配し、浴槽を洗ってお湯を溜めていてくれた夫の優しさ。
おかげで風邪をひかず、翌日以降も練習を続けることができた。
マラソンってもしかして、「自分一人の挑戦」ではないのかもしれない。

10km地点を通過した頃には周りのランナーもまばらになり、練習を重ねた自分のペースを取り戻せるようになっていた。
乱れていた息も整い、このまま進めば止まらずに走り切れるぞ!とモチベーションも高まっていた。
気分が乗ってくるのも無理はない。
だって、目の前には大きな博多湾が広がっているんだから。
これがもう、本当にとっても綺麗で、キラキラした雨上がりの水面は私を自然と笑顔にしてくれた。
この辺りで、YouTubeで勉強していた通りエネルギー補給のジェルを飲む。
この距離をあと4回くらいか、いけるぞ、と楽観的になる。
でも、気持ちも身体も軽やかなのはこの地点が最後だった。
ここから先、ずっと苦しみが続くことを私はまだ知らなかった。

私がフルマラソン出場を果たせたのは、職場の上司の理解に支えられたことも大きかった。
出場が決定したことを伝えると、仕事の合間に「最近ランニングの調子はどうよ」と話しかけてもらうことが増え、さらに私が残業していると「練習があるんだから早く帰りなさい」とよく気にかけていただいた。
残業を理由に今日は練習を休もうかな、なんて邪な考えは上司のおかげで通用せず、言い訳できずにランニングに取り組めたのだった。

15kmあたりを過ぎ、折り返し地点がある九州大学の敷地内へと進む。
目の前にある、このゆるやかな坂を登ればあと半分だ。
沿道のブラスバンドに励まされ、応援団に応援され、ただただ登る。
あれ、まだ着かんぞ??
まっすぐな道ほどその先が見えてしまい、なかなか辿り着けない事実がつきつけられる。
長い、長すぎる。
一歩足をつくたびに、もう無理もう無理と小さく呟いた。
遠くに見える折り返し地点はまだまだ近づいてこない。
ていうか、自分がちゃんと前に進んでいるかも疑わしくなる。
もう無理、ゼェゼェ、もう無理、ゼェゼェ、、、
沿道の声に気がつくことすら難しくなっていた時、聞き馴染みのある声で名前を呼ばれた。
夫だった。
天神から自転車で追いかけてきてくれたらしい。
私のペースに合わせ自転車で坂を登っている。
「頑張れ!」
そうだ、頑張らないと。
ゆるやかに長く続く坂道を夫の声援とともに登り、高々と立てられた旗の周りをやっとの思いで折り返した。
あと半分か。
気が遠くなるようだったので、あまり先のことを考えず1kmずつを懸命にこなしていくことにした。

大会本番まであと1週間に迫っていた頃、私は風邪を引いてしまった。
喉の痛みと微熱。
すぐに治るだろうと一日しっかり休息を取ったが、なかなか熱が下がらない。
翌日も、その翌日も微熱が続いた。
このままだと出場を棄権することになるかもと不安がよぎった時、何よりも「これまでの練習の成果が発揮できないこと」が悔しかった。
それは、私にとって意外な思考だった。
ああそうか、何のためにフルマラソンを走るのかと多くの人に問われてきたが、答えが出たようだ。

本番まで続けた練習のために走るんだ。
重い腰を上げ、嫌々ながらも夜道を走った自分を報いるために走るんだ。

何としても治さないと、と近所の病院を受診することにした。
幸い、インフルもコロナも陰性で、ただの風邪だろうとのこと。
今週末の福岡マラソンに出るから早急に治したい旨を医師に伝えると、
「私も出ますよ、頑張りましょうね」
と温かい笑顔で返された。
ただの風邪にしては大袈裟なほど薬を処方してもらえたおかげか、先生の素敵な一言で心が温まったおかげか、熱はその日のうちに引いた。
私は私を裏切らないために完走する、と心に強く誓ったのだった。

九州大学を越えた先に続く糸島の道は、海と山の繰り返しだった。
35km地点、観光地でも有名な二見ヶ浦の海に感動する余裕は残っておらず、力を振り絞り一歩一歩走ることしかできなかった。
歩く人や立ち止まっている人、地面に倒れ込んでいる人が増えてきた。
私も彼らと紙一重で、少しでも気を抜くと倒れてしまいそうだった。
沿道は自転車が通れる道ではなかったため、夫の声援を期待することももうできない。
もう限界だ、やめよう、と諦める気持ちが大きくなっていた。

そんな状態だった私の背中を押してくれたのは、沿道からの声援だった。
これまで会ったこともないし、これからも会うことがない、全く知らない人たち。
その人たちが、同じように見知らぬ私を応援してくれている。
前に進まなきゃ、諦めたらダメだ、、、
声を出して返事をすることはもうとっくにできなくなっていたため、せめてもの思いで笑顔を向けた。

田んぼ道を進み続けると、「40km地点」と表示が現れた。
あと2kmだ。
喜びを感じると同時に、あと2kmで終わってしまうということに悲しみが溢れてきた。
何ヶ月も続けた練習の日々も、苦しみの方が多かったこの本番も、もうたった2kmで終わってしまう。

どんな表情で、どんな思いで、どんな最後を迎えたいだろうか?

何度も諦めそうになった「完走」が現実味を帯びてきて、地面を蹴る足に力が入る。
すっかり曲がってしまった背筋を伸ばし、足元ばかり見ていた顔を上げ前を向く。


私は笑顔でゴールを走り抜けた。

ゴール地点を振り返り、果てしなく長かったスタートからの道のりに思いを馳せ、一礼する。
果たして、マラソンは自分一人の戦いだっただろうか?
私の場合は違った。
自分一人では日々の練習を続けられなかったし、自分一人では本番を走り切ることは決してできなかった。

「マラソンは人生だ」と耳にしたことがある人も多いのではないだろうか。
30代そこそこで人生を語ることはおこがましいが、これだけは分かる。
さまざまな人に支えられないと完走できないマラソンは、多くの人と支え合ってしか生きられない人間の人生と同じだ、と。

ただ、これだけ苦しかった道のりが人生と同じなのであれば、それは勘弁してくれよと思うのであった。


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