左派リベラル的な社会を目指すために考えなくちゃならないこと
(値段つけてますが、全文無料で読めます。投げ銭は歓迎)
タイトルのようなことを何度か書きました。高市内閣初の補正予算が決まり、来年度予算の議論もされてるから、ほんとはその感想も書きたいけど、とりあえず今日はマニフェスト的な話を繰り返しておきます。
思いつくままにだらだら書いたので、まとまりがなく、繰り返しも多いですが、パッションだからさ。
緊縮で成功した政権はない
日本が今抱えている問題の多くは、長年の緊縮政策の「ツケ」です。問題は80年代の土光臨調と中曽根内閣の「増税なき財政再建」に遡りますが、深刻化したのは90年代の橋本行革でしょう。橋本行革では財政赤字を解消するために歳出削減や消費税増税を含む緊縮的政策が実施されました。その結果、経済が冷え込んで税収は減り、赤字国債は却って増えました。これは一種のパラドックスですが、国が歳出を減らすと税収が減ることは1930年代にケインズが指摘していると思います。
小渕政権は積極財政政策を目指しましたが、小泉政権が緊縮的な新自由主義政策を取った結果、橋本政権時代に始まったデフレが確固としたものになってしまいました。新自由主義で国民が豊かになるはずがないので、これは当然です。その後、リーマンショックへの対策として麻生政権が積極財政を試みたものの政権交代が起きてしまい、次の民主党政権は「デフレ状況下なのにデフレよりインフレを恐れる」というかなり頭がおかしい姿勢で、デフレを進行させました。
結局、緊縮政策で成功した政権はありません。緊縮の結果としてデフレが深刻化しました。そんなことはやる前からわかってたんですよ。
積極財政的な政策を取った小渕政権はデフレを少し遅らせたと考えられます。リーマンショック後の麻生政権はかなり大規模な積極財政政策を取り、当面を乗り切ったものの、「バラマキ批判」という今にして思えば頭がおかしい批判によって政権を失い、「悪夢の民主党政権」になってしまいました。麻生政権はリーマンショック後、世界で最も早く大規模な歳出拡大を行ったので、民主党政権への交代は残念でした。ただし、麻生政権時代の大きな問題は日銀の白川総裁が金融緩和をしなかったことで、財政拡大だけではどうにもならなかったのも事実です。経済成長を妨げたという意味で、白川総裁の責任は非常に重い。
民主党政権が緊縮でデフレを進行させた上に消費税増税を決めるというめちゃくちゃな政策を取って政権を失ったあと、第二次安倍政権です。安倍政権の経済政策、いわゆるアベノミクスは世界で初めての本格的なリフレーション政策と言われています。最大の特徴は金融緩和と積極財政政策の協調でデフレから脱却しようとしたことです。実際、アベノミクス初年度はこの政策がうまくいって、民主党政権時代の超円高・超株安から脱却し、何より重要なこととして雇用状況が大きく改善しました。このままリフレーション政策が続けばよかったのです。
ところが、二年めから財政はむしろ緊縮に振れます。この理由は安倍晋三の回顧するところによれば、財務官僚がいわゆる「骨太の方針」にひそかに歳出のシーリングを忍びこませたためです。財務官僚が積極財政政策を潰したことは覚えておいてください。
それでも、金融緩和だけで経済状況は好転し、雇用状況は改善していきました。金融緩和がいかに重要かがこれでわかります。安倍政権が積極財政政策に回帰できたのは、新型コロナ禍でした。コロナをいわば奇貨として、100兆円を超える国債を発行し、給付や融資を行いました。これがコロナ禍での日本経済を支えました。この事実は、国債を100兆円発行してもたいしたインフレにならないことを示しています。この国債発行を財務官僚は相当反対したと思われます。また、この時に景気刺激策としての消費税減税が期待されたものの、残念ながら実現はしませんでした。
続く菅政権は安倍政権の政策を引き継いだはずですが、いささか新自由主義的だったかと思います。多くの人が期待した再度の一律給付金は実現しませんでした。
岸田政権は自民党総裁選挙でアベノミクスそっくりの経済政策を掲げたにもかかわらず、結局は緊縮的でした。所得税減税は行われましたが、この時も早々に財務大臣が「一度限り」と明言してしまい、失望を呼びました。防衛増税を決めるなど、基本は財務官僚言いなりの緊縮増税路線です。その次が石破政権ですが、はっきり言って石破茂は経済政策に全く関心がなく、財務官僚寄りの人事で、緊縮政策を貫きました。いや、岸田政権・石破政権で国債は大量に発行したのですが、デマンドプル型の「よいインフレ」を起こすには緊縮すぎました。
なお、岸田・石破政権で経済がひどく落ち込んだりはしなかったのは、新型コロナ禍での財政出動の影響が残っていたのだと思います。対外要因による物価高への対策は岸田政権での一度限りの所得税減税だけで、効果は限定的でした。
もう一度書きますが、橋本政権以降、緊縮政策で成功した政権はありません。緊縮は常に国民を貧しくする方向にしか働きませんでした。これが教訓です。
左派的な社会を目指そう
どのような社会を目指すかについて、かつては二択でした。
高負担高福祉の大きな政府
低負担低福祉の小さな政府
大きな政府は社会主義的で、小さな政府は(のちの言葉で言えば)新自由主義的です。とはいえ、大きな政府は社会主義的と言いつつ、高負担というのはなんかおかしい気はします。
70年代80年代の日本は「世界で最も成功した社会主義国家」と呼ばれました。実際には低負担・低福祉だったのですが、終身雇用や年功序列制によって企業が福祉の大きな部分を担ったのが特徴です。「一億総中流」と言われ、みんなが中流意識でした。みんなが中流なら、それでよかったはずです。
日本型社会主義を終わらせたのは新自由主義の小泉内閣です。もちろん、日本型社会主義が持続可能だったかどうかは議論があるところですが、ここで新自由主義が台頭したのは問題でした。新自由主義は一億総中流とは対極の弱肉強食の社会を作ります。雇用の多くが非正規にシフトしていったのも新自由主義的な政策だからです。小泉内閣で重要な役割を担った竹中平蔵が「正社員は既得権益」とまで主張するのが、新自由主義者の思想を端的に表しています。
民主党は新自由主義ではなかったはずなのですが、緊縮増税政策によって、実質的に新自由主義的になってしまいました。増税するだけ新自由主義より悪いとも言えます。緊縮は「小さな政府」を目指すことと同義なので、思想の左右と関係なく、新自由主義的になってしまいます。小泉政権が日本型社会主義を破壊したあとでは、企業が福祉を担えないから、そうなってしまうわけです。
安倍政権は明示的に新自由主義を否定しませんでしたが、リフレーション政策によって雇用を生み出すこなとに成功し、結果的に民主党政権よりも左派的な政策になりました。端的にそれが現れたのがさっきも書いた新型コロナ禍への対応で、100兆円規模の赤字国債を発行して、国が国民の生活を支えました。民主党政権が東日本大震災を所得税増税、つまり国民負担で乗り切ろうとしたのとは対極です。思想の左右の問題ではなく、緊縮か反緊縮かの違いです。
岸田内閣は明確に新自由主義からの脱却を掲げました。これは画期的です。ところが、財務官僚と戦うことはなかったため、緊縮的になりました。それを象徴するのが、当初掲げていた「令和の所得倍増計画」を「資産所得倍増計画」にすり替えたことです。このふたつは大きく違います。前者は左派的であり、後者は新自由主義的です。資産所得を倍増させるにはそもそもの資産が要るんですよ。これは資産を持つものだけを優遇する政策です。ピケティが批判したのはまさにこういうことではなかったでしょうか。
石破茂は自民党内では左派のように扱われていますが、彼に経済政策はありません。日本の財政はギリシャより悪いなどというデマを首相自ら流すなど、全くありえません。国民民主党との三党合意だった減税すら、宮沢洋一と森山裕のサボタージュを放置して、主体的に実現させようとはしませんでした。石破政権で無駄にした一年は大きいですよ。あげく、政権にしがみつく醜態ですから。
それでも、岸田元首相が「新自由主義からの脱却」を掲げたことだけは評価するべきです。小泉改革が生んだ新自由主義社会を明確に否定したことは評価しましょう。
社会は公平であるべきだし、人々は貧富にかかわらず教育を受けられるべきだし、病気になったら医療を受けられるべきだし、仕事がないときには国が生活を保障するべきだと思います。そのためには格差をあまり拡げない政策が重要だし、国が教育や医療に多くのお金を出して、福祉も充実させる必要があるはずです。これは明確に左派的な社会です。なるべく多くの人々がなるべく幸福に暮らせるようにするためには、新自由主義ではなく、左派的な社会を目指すべきだと思います。
もちろん、格差はあるんですよ。資本主義社会なんだから当然です。ただ、あまりにも大きな格差は社会を不安定化します。特に資産が資産を生む仕組み上、資産がある人とない人の差は必然的に拡大し、それは必ずしも当人の才覚ではなく、相当程度に運の要素が大きい。運悪く資産を持たない低所得層の生活をきちんと保障しなくてはなりません。労働者が普通の労働で普通に生活できることが重要だし、それを実現させるのが国の仕事でしょう。
かつてなら、日本型社会主義のような特殊な形態でない限り、これは高負担の上でしか成り立ちませんでした。だからこそ、負担を嫌う人々は新自由主義を支持するわけです。
もちろん社会保険料を下げることは重要です。しかし、医療費を例にとれば、新自由主義者は社会保険料を下げるために医療費を削減しようとします。日本の国民皆保険は世界に誇るべき制度なのに、それを縮小させようとします。しかし、保険制度を縮小すれば、医療は富裕層だけのものになり、低所得層は医療から遠ざけられます。まさに、経済格差が命の格差に直結します。それは倫理的ではありません。新自由主義は倫理的ではないんですよ。
続けて医療費を例にとると、社会保険料を下げる方法は二つあります。ひとつは新自由主義者に従って保険医療を縮小すること、もうひとつは医療費の国費負担割合を増やすことです。現時点で保険医療にかかるお金の1/4は国費で賄っています。また1/8ほどは地方自治体が負担しています。医療費の増加とともに、この国費負担割合は増えています。じゃあどれくらいかと言えば、13兆円程度です。たしかに国家予算の1割強ですが、ものすごく大きくはない。
医療以外も含めて社会保障関係を全て合わせると国が出してるのは40兆円程度です。たしかに大きいことは大きいのですが、しかし、社会保障は国の仕事です。ここをもっと増やすほうが人々の生活は楽になります。たとえば10兆円増やせばいいでしょう。国民の社会保険負担を増やさずに高福祉社会を実現させるには、国が歳出を10兆円とか増やせばよさそうじゃないですか。
歳出削減を求める緊縮派にこれはできません。どれほど左派的な政策を実施したくても、緊縮指向である限り無理です。立憲民主党のように「赤字国債に頼らない」と言っている限り、このような左派的政策は決して実現しません。実現させようとしたら、増税するしかない。緊縮左派(立憲民主が左派かはともかく)では左派の政策は実現できません。
反緊縮政策の立場からすれば、これは出せる額です。赤字国債で賄えばいい。国債発行に関しては、経済成長率が金利より高ければ破綻しないというドーマー条件があるので、要は経済成長させればいいわけです。そのためには国が歳出を増やせばいい。負債の対GDP比で議論するとしても、GDPのほうが速く増えさえすればいいわけです。乗数効果というのがあって、要は国の支出が民間で何度も使われればGDPは国の支出以上に増えます。
めちゃくちゃ大雑把にはそういうことです。もちろん、インフレ率との兼ね合いがあるので、野放図に歳出を増やすことはできないのですが、10兆や20兆なら問題なくて、そしてその程度の額を出すか出さないかがクリティカルに効くと思います。戦力の逐次投入でごまかしてきたのがこれまでの日本の経済政策ですが、「あと少し」出すだけで全然違っていたはずです。その「あと少し」を許さなかったのが緊縮派ですよ。
左派的な政策を実現するには高負担しかないというのは30年も前の常識です。反緊縮的な経済政策で経済成長させることによって、国の歳出はさらに増やせるし、それによって「左派的な政策」は実現できるはずです。反緊縮の理論は既に相当に整備されています(反緊縮政策には金融政策と財政政策の両方が重要ですが、いわゆるMMTは金融政策を考えないので、無理があると思われます)。
それを実現するのが右派政権かもしれないといのが現状です。反緊縮右派は緊縮左派よりも左派的になりうる。実際、安倍政権はかなり左派リベラル的な社会政策を取ったという評価があります。もちろん、反緊縮経済政策を掲げる左派リベラル政権ができるのが理想です。でも、今の日本の政治状況を見るなら、反緊縮左派リベラルは望めません。それなら反緊縮右派のほうがはるかにましです。
繰り返しますが、緊縮左派に左派的な政策は実現できません。僕たちは新自由主義を脱して、左派リベラル的な社会を目指すべきですが、今の日本でそれができるのは反緊縮右派という現実を直視しなくてはなりません。左派は考えを改めなくてはならないし、僕たちは現状では反緊縮右派に期待するしかありません。
ここから先は
¥ 150
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
