非暴力のコミュニケーション講座(と日本人の気質がどうドイツ人に伝わっているかについて)
今日の実習の終わりに「非暴力のコミュニケーション講座」の2回目が行われた。
1回目についてはコチラ☟
2回目の内容としては、
<自己対話>
・イライラさせられる時を書きだす(例:時間に正確じゃない)
・それに対する自分の思い込みを書きだす(例:遅れてくる人は怠けている)
・感謝する時を書きだす(例:良い天気の時etc…)
<観察か評価か診断>
☞起きた事象に対して偏見無く分析できるようになることが目的
*例:昨日あなたは遅くれて来たじゃないか!(←これには発言者の偏見が入っている。「遅い」と相手を非難した場合、相手は「遅い」とおもってないこともある。なので、発言者の一方的な”思い込み”で相手とコミュニケーションを図ろうとしたとしても、相互理解が成立しない状況に陥ってしまう。
*例:昨日あなたは11時20分に来た。私が覚えているのは、あなたは11時頃にここへ来ようとしていたことだ。(←これには発言者の偏見が含まれていない。「11時20分」という客観的な事実を入れることによって、お互いに正しく判断が出来る条件が整う。しかも、本来は「11時頃」に来るという前提条件があったのであれば、11時20分に来たというのは、誰の目から見ても遅れているということが確認できる。こうやって互いに事実の情報に即してやり取りを行うことによって、相互理解を深めたコミュニケーションをすることが出来る。)
ということをメインとして行った。
で、「観察か評価か診断」の時に、他の先生達とグループになって、ワークシートに即して議論していた。そしたら流れで、「日本の幼稚園とドイツの幼稚園の違い」についての話になり、自分が色々と説明するという状況になった。
説明すると言っても、自分は日本の幼稚園で働いたことは無く、子どもの頃に幼稚園に通っていたぐらいの知識しかない。あと、日本の森のようちえんはこれまでに20園くらい訪問したことがあるが、期間としては1日体験みたいなものがほとんどである。
ドイツの幼稚園としては、全く経験が無い。ドイツの森の幼稚園で1年間実習してただけだし、見学したことがあるのは今の実習先を含めて4つである。
こんな感じの自分なので、的を得た説明が出来たとは思わないが、一生懸命話したというのは事実である。
説明のきっかけになったのは、ある先生が「日本の子どもってちゃんと先生の言うことを聞くのか?」と質問してきたからである。今の実習先の子ども達の中には”やんちゃ”な子ども達もいて、先生の言うことを聞かないではしゃぐことが時々起こる。
で、今日は30度を超える猛暑日で、日本人の子どもが帽子を被っていなかった。それに気づいたある先生がその子に対して「帽子を被って」とドイツ語で言ったのを、自分が聞いていたので、すかさず「『帽子を被って』って言ってるよ」と日本語に訳して伝えたら、その子はすぐさま帽子を取りに向かったのである(帽子を被るのは好きじゃないということで、結局被らずに日陰で過ごすことになったが…)。
自分が日本語で伝えて、その子が素直にその通りに動いた場面をその先生が見ていたので、「日本の子どもってちゃんと先生の言うことを聞くのか?」とグループワークの時に質問してきたのである。
自分の回答としては、
・子どもと先生という関係においては上下関係がある。ドイツでは先生のことを名前で呼ぶ感じでフレンドリーな関係性だけど、日本では「~先生」と呼んで、上下関係を作っている。それ故に、子ども達は先生の言うことを聞くようになる。
・年上を敬う(というか、立場が上の人に対して従う)ことが、日本では一般的である。それ故に、子ども達は先生の言うことを聞くようになる。
・クラスにおいて、先生1人に対して子ども達20名くらいを相手にしなければならない。なので、先生は権威的であることが求められるし、子ども達に言うことを聞かせないとやっていけない。それ故に、子ども達は先生の言うことを聞くようになる。
・ドイツの子ども達は自分の意見を言うことが上手だし、先生も子ども達が意見を言える環境を作っている。一方で、日本は自分の意見を押し殺さないといけない場面が多いので、「従う」という選択をしがち。それ故に、子ども達は先生の言うことを聞くようになる。
みたいなことを伝えた。あとで振り返った時に、上手く言えなかったなと後悔。
心の中にそれが残っていて、ドイツ人って日本人の気質をどう思っているのか気になった。上司のフローリアンは自分と接することで、「キーくんは”No”が言えないよね」と気付いて、それが日本人の気質だと思ってる節がある。
ネットで「japanische Mentalität」って調べて、いくつか引用☟
感情を表に出すのはふさわしくない
人間にはさまざまな感情が備わっています。ドイツや他の多くの西側諸国では、人々は自分の感情を外に示す傾向があります。
一方、日本では、自分の気持ちを隠し、本当の気持ちを外に明らかにしないことが最高の美徳と考えられています。公共の場で特に感情的に行動したり、怒り、恐怖、その他の感情を表したりする人は面目を失い、感情の爆発に対処する方法を知らない他の人たちに顔の見えない状態を引き起こします。
これは物理的な意味での顔を指すのではなく、人の外見やイメージを指します。日本の教育には抑制、制御、規律が含まれます。コメルツ銀行の頭取を長年務め、東京のドイツ商工会議所会頭でもあるフォルカー・シュトライブ氏によると、日本では苦しみに耐えることが英雄とみなされているという。
個人的な感情を脇に置く方法を知っており、最も深刻な危機に直面しても笑顔でいられる人は、社会で最も評価されます。
(Gefühle zeigen schickt sich nicht
Menschen sind mit einem breiten Spektrum an Gefühlen ausgestattet. In Deutschland und vielen weiteren westlichen Ländern tendieren die Menschen dazu, ihre Emotionen nach außen zu zeigen.
In Japan hingegen gilt es als höchste Tugend, Gefühle zu verbergen und der Außenwelt keinesfalls zu eröffnen, wie man sich wirklich fühlt. Eine Person, die besonders emotional handelt oder in der Öffentlichkeit Wut, Angst oder weitere Gefühle zeigt, verliert ihr Gesicht und lässt andere ihr Gesicht verlieren, die mit den emotionalen Ausbrüchen nicht umzugehen wissen.
Bezeichnet wird hierbei nicht das Gesicht im physischen Sinne, sondern das Ansehen einer Person beziehungsweise ihr Image. Die japanische Erziehung umfasst Zügelung, Beherrschung und Disziplin. Laut Folker Streib, lange Zeit Chef der Commerzbank und Präsident der Deutschen Industrie- und Handelskammer in Tokyo, gilt das Ertragen von Leid in Japan als heldenhaft.
Die meiste Anerkennung finden in der Gesellschaft Menschen, die ihre persönlichen Gefühle zurückzustellen wissen und auch im Angesicht schwerster Krisen noch mit einem Lächeln aufzuwarten vermögen.)
コミュニティの考え方
日本人は数世紀にわたり、階層構造の民族として自らを組織しました。今日でも、日本人の私生活と職業生活の両方において、階層は非常に重要です。この階層内ではすべての人が特定の立場を持っており、この立場は可能な限り最善の方法で満たされなければなりません。
これによってのみ、個人はその福祉のために働く集団の中で価値を獲得し、意味を得ることができます。多くの西洋社会とは対照的に、日本では個人の自己実現ではなく、むしろコミュニティに焦点が当てられています。
日本の教育は無私無欲と社会に奉仕する意欲に基づいています。危機に直面したとき、育ちの良い日本人は自分自身の損失や自分自身の運命について主に考える必要はありません。
それでもパニックや恐怖、その他の強い感情を感じている場合、日本人はそれを直接伝えるべきではありません。これは地域社会にとって逆効果であり、他の人々の間でさらなる不快感を引き起こす傾向があるからです。
(Gemeinschaftsdenken
Die Japaner organisierten sich über mehrere Jahrhunderte hinweg als hierarchisch gegliedertes Volk. Auch heute haben Hierarchien sowohl im Privat- als auch Berufsleben der Japaner eine große Bedeutung. Jede einzelne Person hat eine bestimmte Position in dieser Hierarchie, und diese Position gilt es bestmöglich zu erfüllen.
Erst hierdurch gewinnt ein Individuum an Wert und bekommt einen Sinn in der Gruppe, für deren Wohl es sich einsetzt. In Japan steht im Gegensatz zu vielen westlichen Gesellschaften nicht Selbstverwirklichung eines Individuums im Vordergrund, sondern stets die Gemeinschaft.
Die japanische Erziehung baut demnach auf Selbstlosigkeit und der Bereitschaft, der Gesellschaft zu dienen. Im Angesicht einer Krise hat der wohlerzogene Japaner also nicht in erster Linie an eigene Verluste zu denken oder an das eigene Schicksal.
Verspürt er dennoch Panik, Angst oder andere starke Emotionen, so sollte sie der Japaner nicht direkt kommunizieren, da dies für die Gemeinschaft kontraproduktiv ist und eher zu noch mehr Unbehagen unter anderen führt.)
日本語には、会話における参加者の社会的立場や関係性を区別して 表現するためのさまざまな言語手段があります。
この目的のために、話し手が文脈に応じて選択する儒教の階層概念に基づいた敬語が使用されます。発話の方向、会話の相手または話題になっている人の社会的地位、およびグループのメンバーシップが考慮されます。たとえば、丁寧な言葉は、話者が自分の社会的地位が相手よりも高い、または低いと考えていることを表現するために使用できます。
誰かを優れていると考えていることを表現するには、尊敬の形 (尊敬語、尊敬語) を使用します。一方、自分を従属させて相手を優れていると考えることを表現するには、謙譲語(謙譲語)を使います。どちらの場合も、他人の優位性が表現されますが、その方法は 2 つあります。つまり、相手を直接上司として呼び掛けることと、自分が下位であることです。これをドイツ語で複製すると、次の例にほぼ対応します。「これを決定できるのは上司であるあなただけです」または「従業員である私はいかなる状況でもこれを決定することはできません」。見る方向によって形状が異なります。 3 番目の一般的な形式であるテイネイゴもあります。[2]したがって、敬語はドイツ語 の「あなた」と「あなた」の区別よりもはるかに複雑であるため、高度な日本語を 学ぶ際に敬語は主にビジネス生活で重要な役割を果たします。
(Die japanische Sprache kennt vielfältige sprachliche Mittel, die soziale Stellung und das Verhältnis der Gesprächsteilnehmer zueinander differenziert auszudrücken.
Hierzu bedient man sich des Keigo (敬語, „Höflichkeitssprache“), das auf den konfuzianischen Hierarchievorstellungen basiert, die der Sprecher abhängig vom Kontext auswählt. Dabei werden die Sprechrichtung, die soziale Stellung des Gesprächspartners oder einer Person, über die gesprochen wird, und die Gruppenzugehörigkeit berücksichtigt. Mithilfe der Höflichkeitssprache lässt sich beispielsweise zum Ausdruck bringen, dass der Sprecher seine soziale Position als höher oder geringer erachtet als die seines Gesprächspartners.
Um zum Ausdruck zu bringen, dass man jemanden als höher gestellt betrachtet, verwendet man die Respektsform (Sonkeigo, 尊敬語). Um hingegen zum Ausdruck zu bringen, dass man jemanden als höher gestellt betrachtet, indem man sich selbst unterordnet, verwendet man die Bescheidenheitsform (Kenjōgo). In beiden Fällen wird zum Ausdruck gebracht, dass eine andere Person höher gestellt ist, jedoch auf zwei unterschiedliche Weisen: indem die andere Person direkt als höherrangig angesprochen wird oder, indem man sich unterordnet. Im Deutschen nachgebildet entspricht dies etwa folgenden Beispielen: „Nur Sie als Chef können das entscheiden“ oder „Ich als Angestellter kann dies keinesfalls entscheiden“. Die Formen unterscheiden sich in der Betrachtungsrichtung. Daneben gibt es eine dritte allgemeine Form, das Teineigo.[2] Keigo ist damit deutlich komplexer als die Unterscheidung zwischen „Du“ und „Sie“ in der Deutschen Sprache und stellt daher eine große Hürde beim Erlernen der gehobenen japanischen Sprache dar. Keigo spielt vor allem im Geschäftsleben eine Rolle.)
日本文化は集団主義に重点を置いています。日本人は、家族、同僚、その他自分が属する社会集団とのつながりを強く感じています。グループでは階層が支配します。誰もが自分の立場を守り、上位の者に対する従属を観察します。日本人は年長者や権威主義的な人物に対して従順で謙虚な態度をとります。集団主義と、チームの生存条件を最大限に改善したいという願望により、厳格なエチケットと礼儀正しさの規範が生まれました。
(Die japanische Kultur konzentriert sich auf Kollektivismus. Die Japaner fühlen sich den Familienmitgliedern, Mitarbeitern und anderen sozialen Gruppen, denen sie angehören, sehr verbunden. Hierarchie dominiert in Gruppen. Jeder behält seinen Platz und beobachtet die Unterordnung in Bezug auf die höheren. Die Japaner haben eine unterwürfige und demütige Haltung gegenüber den Ältesten und autoritäreren Individuen. Kollektivismus und der Wunsch, die Bedingungen für die Existenz des Teams maximal zu verbessern, führten zu einer strengen Etikette und einem Kodex der Höflichkeit.)
寓意的に「ノー」という言葉を言わずに要求は拒否されます。直接の拒否はエチケットの規則違反とみなされます。日本人はとても礼儀正しい国民です。彼らは皆、生まれた時から他者への敬意を教えられています。彼らは個人的な境界を尊重するため、他人の私生活には興味を持ちません。彼らは、求められない限り、自分の個人的な問題について他人と話したり、アドバイスをしたりしません。
(Anfragen werden abgelehnt, ohne das Wort 'Nein' allegorisch zu sagen. Direkte Verweigerung gilt als Verstoß gegen die Regeln der Etikette. Die Japaner sind ein sehr höfliches Volk. Jeder von ihnen wird von Geburt an Respekt für andere gelehrt. Sie respektieren persönliche Grenzen und sind daher nicht geneigt, sich für das Privatleben eines anderen zu interessieren. Sie diskutieren weder ihre persönlichen Angelegenheiten mit anderen, noch bieten sie Beratung an, wenn sie nicht angefragt werden.)
