元少年Aの「絶歌」の感想:たかが「精神が崩壊しそう」になったくらいで本を出版しやがったクソ野郎だな。
最初に自分のスタンスについて明確化しておきます。
スタンス①:事件に不可解な点が多すぎるので、「少年Aの事件」として捉えていない
そのような考えに至ったのは、こちらの記事を読んだのがきっかけです。
悲惨な事実があったことは、「現実は事実」という立川談志の名言にある通り、認めていますが、「その事件を誰が起こしたか?」については、「少年Aではないのではないか?」と疑問を持っております。
実は私、いわゆる「反ワク」、「反マスク」と称されるような考え方をしており、「コロナ茶番」が始まった2019年12月06日以降、「ノーコロナワクチン、ノーマスク、ノーアルコール消毒、ノーPCR検査」で生活し、すこぶる元気な状態を維持しております。
このコロナ茶番が「メディアのバカ騒ぎ」によって作られたモノであることは自明の理ですが、その教訓により、私はメディアが騒いでいるモノについて鵜呑みにしない態度を身に付けました。
まぁ、尊敬する立川談志が自身の子どもの時の戦争体験により、マスメディアが戦争を煽り、「良い戦争」と銘打っていたものが、蓋を開ければ「悪い戦争」だったということを学び、「そのおかげで物事に対して斜に構えるようになった。」と言われていたので、自分もメディアを盲信してはいけないなと大学生の頃から思ってましたね。立川談志にとっての戦争が、自分にとってはコロナ茶番でしたね。
この少年Aの事件もまた、発生当時(1997年。私は4歳。)に「メディア」がこぞってはやし立てたことから考えるに、なかなか素直に受け入れることが出来ないというのが今の自分です。
スタンス②:少年Aの本は部分的に読んだだけ
私はこの方の記事を読んで、今回の感想を書きました。
元少年Aが書いた「絶歌」を、ぼくのノートさんが気になったところを抜粋されて記事にしたモノを私が読んだという形です。
ぼくのノートさんの記事の中には、「絶歌」が全文掲載されているリンクが張ってありました☟
けれど、私は全文を読みませんでした。
ぼくのノートさんの記事でもかなり分量があるので、それで十分だなと感じたからです。そして、コイツのクソみたいな態度をこれ以上知りたくないと思ったからです。
スタンス③:読む時に湧き上がってきた思いをそのまま書いただけ
私の「素直な感想」を書いただけです。ぼくのノートさんの記事を読んでいる最中は元少年Aに対して様々な思いを書きましたが、読み終わった後に、①にある「元少年Aが行ったのかは定かではないという立場」になりました。
ただ、私がそのような感想を持ったことは紛れもない事実ですので、そのまま掲載したいと思いますし、表現が荒くなっているところもありますが、私の「素直な感想」として読んで下さっている方には受け止めて頂けたらと思います。
追記
僕が思ってることを非常に綺麗な文体で書かれていた方がいらっしゃったので掲載👇
彼は自身でも「過去の猟奇殺人者と同様の英雄になりたかった」と述べているように、自分のしたことに対して英雄だと思っているようであり、その思惑が文章に有り有りと主張されている。
また、表現の限界が浮き彫りになっており、著者には申し訳ないが、池の下り等は読むのを飛ばした。「綺麗だった」と書けば良い表現を、何倍にも膨らませ必死にそれを伝えようとているのかとおもいきや、”小説家のような表現が出来る人間である”ということを主張したいのだと感じる。これはとても虫酸が走るような感情を彷彿させた。
&
基本的に文章を繋ぐ技術は事足りておらず、しかし文字書きとして機能すべく、自身が読んだ文章の中からインプットしたであろう野暮ったく陳腐な表現がとにかく多い。(昨今のライトノベル等もこの傾向にある)
そして、自分を「モンスター」と称し、人間ではなくなった自分を描写しつつ、一般的な人間である様として過去の幼き自分を多く描くのは些か違和感である。その違和感の根源は、ある種「誇れるもの」として自身の輝きに満ちた思い出を記載しているからではないだろうか。
&
だが、まるで自分が被害者かのような表現は一定の不愉快を通り越し、愚かさ故の愉快を感じることさえ出来る。
自身の数奇な人生に酔いしれるような激情を今でも持っているのは確かであり、まるでファンタジー作品の中に登場する主人公のように自分を理想のキャラクターとして創造させたいがため、またそれを多くの人間に認識させ愉悦を感じるためこの本は作られたとしか思えない節がある。あるいは、己の武勇伝を後世に残したいのである。(彼のWEBサイトからも、そんな節は見られる。)
更なる追記
この詩を読んであげたいわ。
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう
自分があるとき
他人があり
世界がある
──────────
お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
───────────
これが僕の“今日育”目標である。
以下、気になった文章を引用して、
その後に自分の感想をつらつらと綴ります。
感想①:特別な存在になりたいと思いながらも、悪いことに対しては一般化による正当化を試みて、自分の悪さを隠そうとする。その、腐れきった根性、自分への甘さ、自分の愚かさに目を背ける軟弱な精神に反吐が出る。こういう奴が1番嫌い。マジでムカつく。
二人が去ると、外で待機していたさっきの刑事が部屋に入った。僕は気になっていたことを刑事に訊いた。「死刑の執行はいつですか?」 刑事は笑いながら答えた。「死刑? 何言うとんねん。おまえはまだガキや。死刑にはならん。その歳であれだけのことやったんや。頭もええし度胸もあるんやろ。ぎょうさん勉強してイチから出直せや。明日から本格的な事情聴取や。なんもかんもしゃべって楽になってまえ。ワシがおまえを救ったる」 頭が真っ白になった。 救う? 何を言ってんだ、このオッサンは? 僕にとっての救いは「死刑」だけだった。リセットボタンのない命がけのゲーム。負ければ絞首刑。自分が手にかけた淳君と同じ苦しみを味わって死ぬ。僕の中で用意されていた結末はそれしかなかった。 油ぎった皿に落ちる一滴の洗剤のように、全身にパッと恐怖が拡散した。 この頃の僕は、「死ぬ」ことよりも「生きる」ことのほうが、何千倍も怖かった。
他人に拒絶され、否定されることで、自分の醜さを受容し、肯定することができた。
他人から浴びせられる侮蔑や罵倒によってのみ、自分が浄化されていく気がした。
クラスの男子が好きなアイドルのプロフィールを覚えるように、僕はキャラの立った殺人鬼ひとりひとりの少年期のトラウマ、犯行の手口、死体の処理方法、逮捕されたきっかけ、裁判の経過などを片っ端から頭に詰め込んだ。クラスの女子たちがジャニーズとのデートコースを何パターンも考えている間、僕は人を殺す方法を何パターンも考えた。
僕のなかで、“性”と“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった。
その後も、僕は家族の眼を盗んでは、祖母の部屋でこの“冒涜の儀式”を繰り返した。
祖母の位牌の前に正座し、線香をたてる。祖母との想い出を記憶の冷凍庫からひとつひとつ取り出して解凍し、電気按摩器のスイッチを入れ、振動の強さを最大に設定し、それを切腹さながらペニスに突き当てる。“穢らわしいことをしている”という罪悪感で快楽が加速する。
もう気絶こそしなかったが、射精する瞬間にはいつも“激痛”が伴った。それは後年になっても続き、「射精に激痛が伴う」ということだけは精神科医に話したことがある。医者は「性欲に対する罪悪感の表れ」だと言った。確かにそうなのかもしれない。僕は強いストレスを感じるとよく熱を出したり肌が荒れたりする。普段から表に感情を表さないせいもあるのだろうが、おそらく“精神”と“肉体”のシンクロ率が他の人たちよりも高いのだろう。
僕は祖母の死や祖母との想い出を“陵辱”することで、祖母を失った悲しみや喪失感を無意識に“快楽”に挿げ替えようとしていたのかもしれない。そうでもしなければ祖母の死を、祖母のいない辛い現実を乗り越えられなかったのだろう。
僕は、自身の精神的筋力ではとうてい持ちこたえることができない重量の悲哀を、この身を裂くほどの強烈な快楽をドーピングすることによって無理やり持ち上げようと試みたのだ。だがその快楽のドラッグはあまりに中毒性が強く、もうそれなしでは生きていけなくなるほど僕の心と身体を蝕んだ。
ちょうどこの頃から、僕はきれいに洗ったマーマレードの空き瓶にナメクジを集め始めた。「心象風景」ならぬ「心象生物」という言葉がもしあったなら、不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった。彼らの全身を覆う薄く透きとおった粘膜は、色素が薄く敏感な僕の皮膚を表し、落ち着きなくあちこちにキョロキョロ振れる挙動不審な彼らの触角は、絶え間なく周囲の大人の顔色を窺う臆病な僕の眼とそっくりだ。
命に触れる喜びを感じた。殺したかったのではない。自分を惹きつけてやまない「命」に、ただ触れてみたかった。
祖母の部屋で背徳の快楽に惑溺しながら、幼少期特有の好奇心からナメクジを解剖する。そんな日々が続いた。
ここまで読んで、怒りがこみ上げてきたから記す。
個人的に吐き気がする。文章の内容にではなく、コイツの人間性についてである。コイツに憎悪感を抱く。自分の歴史を細かく話すのは別に構わんが、自分を正当化するな。
所々に自分が特別な存在であるような感じを匂わす文章がしゃくに障る。コイツは特別かもしれないが、それは『良い意味』での特別ではなくて、『悪い意味』での特別である。それを理解せずに、コイツが自己正当化しようと何度も文章を書き連ねてることに怒りを覚える。
ナメクジの描写。好きなモノ、自分と似てるモノに対してそんなことするか?ふざけるなって話しだ。『幼少期特有の好奇心から』なんてほざいて、自分を正当化することを止めろ。ぶざけるな。幼少期の好奇心をこんな奴に語られてマジで悔しい。コイツの考える幼少期の好奇心は、その言葉で言い表すモノではない。断じて違う。違う言葉で表現すべきモノをわざわざ『幼少期の好奇心』というありふれた単語を使って、さも一般化し、正当化しようとする姿勢が許せない。
特別な存在になりたいと思いながらも、悪いことに対しては一般化による正当化を試みて、自分の悪さを隠そうとする。その、腐れきった根性、自分への甘さ、自分の愚かさに目を背ける軟弱な精神に反吐が出る。こういう奴が1番嫌い。マジでムカつく。
『命に触れる喜びを感じた。殺したかったのではない。自分を惹きつけてやまない「命」に、ただ触れてみたかった。』だと?ふざけるな。
『この頃の僕は、「死ぬ」ことよりも「生きる」ことのほうが、何千倍も怖かった。』と、死刑にならないことを聞かされた時の気持ちを記しているが、個人的には絶対に嘘だと思う。
感想②:何が、死ぬことよりも生きることの方が怖かっただよ、ふざけるな。本当に怖かったら、「今すぐ殺してくれ」って頼めばいいじゃん。法律で未成年が死刑に出来ないなら、テメエで自殺すればいいじゃん。そういった死ぬことへの努力を何もせずにのうのうと「死ぬことよりも生きることの方が怖かった」とほざけるそのクソみたいな性根が1番腹が立つんだよ。
本当の気持ちは「死なずに済んで良かった」だろ?何が、死ぬことよりも生きることの方が怖かっただよ、ふざけるな。本当に怖かったら、「今すぐ殺してくれ」って頼めばいいじゃん。法律で未成年が死刑に出来ないなら、テメエで自殺すればいいじゃん。そういった死ぬことへの努力を何もせずにのうのうと「死ぬことよりも生きることの方が怖かった」とほざけるそのクソみたいな性根が1番腹が立つんだよ。
内心は「未成年で死刑免れた。ラッキー♪」程度だろうが。ふざけるな。で、そんな気持ちを吐露することなく、「死ぬことよりも生きることの方が怖かった」なんていう、『普通の人は生きることよりも死ぬことの方が怖いと思いますけど、僕は特別な存在なんで、一般の人達とは変わった感性を持っていて、なんと「生きることの方が死ぬことよりも怖い」と思っちゃうんですよね~』みたいな、自分の特別感を演出するような書き方がマジでしゃくに障る!ふざけるなよ、このあまちゃん野郎。
てかなんでコイツこんなに詳細なことまで書けるわけ?絶対に妄想入ってるだろ。
僕は誰より間近で死の匂いを嗅いできた。死の舌触りを知っている。
何ほざいてんの、コイツ。マジでテメエが死ねよ。
“死”が「穏やか」で「きれい」なはずがない。だからこそ死は愛おしい。
狂ってる。異常。愛おしいなんて言葉使うな。不適切なんだよ!テメエの異常性をカモフラージュさせるために、優しい言葉を使って、その言葉自体を“殺す”な!冒涜するな!テメェの腐りきった行為を表現する為にその言葉が存在するわけじゃねぇんだよ!
感想③:結局コイツって、特別な存在になりたいけどなれないクセに、いっちょ前に人の目を気にしてるただの臆病者で、なおかつ自分の異常な趣味を自分で特別と誇るしか出来ない哀れな人間、そしてその趣味が社会的に悪とされていたら、独りでも自分の趣味の為に戦う程の勇敢さを持ち合わせてない負け犬だから、未成年という隠れ蓑にこもったり、『幼児期の好奇心』みたいな単語使って、「誰でも1度は経験あるでしょ?それが僕の場合、たまたま悪い方向に行ってしまっただけなんです。」みたいなニュアンスを醸し出して、社会との一般化や自身の正当化を試みてるだけの、性根が腐ったイカレ野郎だな。
ダフネ君の父親は中小企業の社長で、彼の家は僕が住む友が丘よりもワンランク上の高級住宅街にあった。
結局コイツって、特別な存在になりたいけどなれないクセに、いっちょ前に人の目を気にしてるただの臆病者で、なおかつ自分の異常な趣味を自分で特別と誇るしか出来ない哀れな人間、そしてその趣味が社会的に悪とされていたら、独りでも自分の趣味の為に戦う程の勇敢さを持ち合わせてない負け犬だから、未成年という隠れ蓑にこもったり、『幼児期の好奇心』みたいな単語使って、「誰でも1度は経験あるでしょ?それが僕の場合、たまたま悪い方向に行ってしまっただけなんです。」みたいなニュアンスを醸し出して、社会との一般化や自身の正当化を試みてるだけの、性根が腐ったイカレ野郎だな。
彼は学校がある日は毎朝僕を迎えにきて、インターフォンを押すとすぐ家の脇に隠れ、僕が玄関から外に出ていくと、急に横から飛び出して「ワッ!」と言って僕を驚かした。
そして僕はびっくりしたフリをする。
優位に立ってたい心情が透けて見えて、救いようがない。
画用紙には、彼が好きだった漫画『南国少年パプワくん』に登場する「イトウくん(巨大なカタツムリ)・タンノくん(下半身が人間で上半身が魚の半魚人)」という、気持ち悪いサブキャラコンビが描かれていた。その絵には消しゴムで何回も消しては描き、消しては描きを繰り返した奮闘の痕跡が垣間見えた。決して上手な絵ではなかったが、彼の健気な気持ちが嬉しかった。
「上手いやん。ありがとう」
そう言って絵を受け取った。
漫画の主人公ではなく、わざわざゲテモノのサブキャラコンビを描いたところにダフネ君一流のセンスを感じた。
子供が好きな漫画のキャラを挙げる時、そこには多かれ少なかれ自己イメージが投影される。そう考えると、彼が描いた「イトウくん・タンノくん」は、彼が無意識のうちに彼と僕とを投影したキャラクターだったのかもしれない。 スポットライトを浴びることのない、グロテスクな日陰者コンビ。学校でダフネ君は明るい人気者で通っていたが、僕は密かに彼が、かなり無理をして「道化を演じている」ことを見抜いていた。転校生特有のプレッシャーもあったのかもしれない。面白い奴だと思われないと仲間外れにされる、と。あるいは、明るい転校生にありがちな過去のいじめ体験があったのかもしれない。僕は彼の道化を指摘したことは一度もなかったし、彼が自分で話してくれる以上のことを質問したこともなかった。道化を演じる者にとって、それを見抜かれ指摘されることがどれほどの脅威かわかっていた。祖母が亡くなってからめっきり口数が減り、クラスの中でも孤立しつつあった僕は、ダフネ君からすれば安心できる相手だったのかもしれない。僕は他のクラスメイトたちのように彼にギャグを強要しなかったし、彼と普通に会話するだけで充分楽しかった。
本当は内向的で、人と接することが苦手なダフネ君は、自分とどこか似ている気がした。能面のような顔の自分と、オカメのお面のような顔のダフネ君。仮面の種類は違っても、仮面を着けていることは同じだった。お互いにうっすら仲間意識を持ったのか、ダフネ君と僕はすぐに打ち解けて仲良くなった。
マジでご都合主義的解釈が気持ち悪い…
どうでもいい話だが、僕は「ランドセル」というものを心の底から嫌悪した。初めてランドセルを背負った時に、心に足枷を嵌められたような、何とも言えぬ圧迫感を感じた。なぜみんな同じ形なのか。なぜ女の子は赤で男の子は黒だと勝手に決められるのか。そして何よりも、なぜみんなそのことにさしたる疑問も持たず当然のようにすんなり受け容れてしまうのか。
人と違うぜアピールうぜぇ
感想④:そうやって傷つけることで、普段弱者の自分が強く感じられたからだろ?だから、その行動を止めなかったんだろ?
まるで化け物でも見るような怯えた眼が、今でも頭に焼き付いて離れない。どれほど怖かったろう。どれほど痛かったろう。身体だけではなく、その優しく繊細な心にも深い深い傷を負わせてしまった。
そうやって、僕はいったい何人の人を傷つけ、その人生を狂わせてきたのか。
疑問ばっか呈してないで、そうならないように行動しろよ、コイツ。それをしなかったっていうのは、その傷つける行動を「良し」と感じてからだろ?そうやって傷つけることで、普段弱者の自分が強く感じられたからだろ?だから、その行動を止めなかったんだろ?
で、今になって、疑問ばっかり吐露して、すっかり他人行儀かよ!ふざけんな!「弱い自分が、他人を傷つけることで、強く感じられたのが快感で止めることが出来ませんでした。で、この本を出す上で、そんなことは書けないので、疑問を並べることで、『今の自分は当時の自分よりも自分がした行為についてちゃんと考えて向き合ってます。』的な自分を演出して、読者の人から同情を引き出そうとしてます。」的な本音を書けよ、クソ野郎が
感想⑤:マジで、こういう奴はこういう奴等だけで固まって住んで、その中で自分の異常性を満たしてくれよ…
胸が高鳴った。誰ひとりとして見向きもしなかった、醜くみすぼらしい透明な一匹の虫螻によって、これから世界がひっくり返されるのだ。
もうね、異常過ぎる。マジで、こういう奴はこういう奴等だけで固まって住んで、その中で自分の異常性を満たしてくれよ…
で、こうやって他人からの注目が得たかったっていうのが本心だろ、コイツの。
感想⑥:人を殺さないと、自分が受けてきた屈辱が晴らせないとか、生意気にも程がある。コイツがやったことは、決してイコールではなく、過度に行き過ぎた、1円支払えばいいところにとんでもない額を出すような、屈辱を晴らすにはあまりある行為
だがそういった激しい怒りや憎しみは、今や僕の支配するこの夜の闇に融け出し、きれいに消化された。いま僕を包むこの夜の闇は、思いどおりに世界を描くことのできる僕だけの真っ黒いキャンバスだった。これまでに味わった数多の屈辱も、この夜の闇が、優しく塗り潰した。僕はもう恐れなかった。もはやこの建物のどこにも、僕を脅かす力は潜んでいないように思えた。あれほど僕を脅かした堅牢な一ツ眼の化け物は、今や僕の決壊した精神のダムから怒濤のごとく逆る闇の波間に力なくたゆたう幽霊船と化し、その実体を喪っていた。
人を殺さないと、自分が受けてきた屈辱が晴らせないとか、生意気にも程がある。コイツがやったことは、決してイコールではなく、過度に行き過ぎた、1円支払えばいいところにとんでもない額を出すような、屈辱を晴らすにはあまりある行為だということが理解出来てないのが、コイツの救いようが無い所以だな。
感想⑦:はい、嘘つきー。死を望むとほざきながらも、本当は自殺すら出来ないただの口だけ異常者が、自分に酔ってほざいているただの戯れ言。
もう、いつ死んでもいい。そう思えた。自分はこの映像を作るために、この映像を視るために、生まれてきたのだ。すべてが、報われた気がした。
はい、嘘つきー。死を望むとほざきながらも、本当は自殺すら出来ないただの口だけ異常者が、自分に酔ってほざいているただの戯れ言。
この光景を視てしまったあとでは、もはや他人と同じ目盛りで世界を視ることは不可能だった。
コイツが特別になったのではなくて、コイツが特別だと『感じた』だけ。喉から手が出るほど欲しかった他人からの評価によって、特別になったのではなく、自分で自分勝手に決めただけ。惨めすぎる。
「抱きしめたい気持ち」の白い縦糸。
「無茶苦茶にしたい気持ち」の黒い横糸。
その白黒の糸を通した二本の針が、僕の心を交互に突き刺し、隙間なくぎっちりと縫い塞いだ。
名曲「糸」の冒涜。許さん。
多分、僕は発達が他の人たちよりアンバランスなのだ。・・・「若いですね」と言われるたび、その潜在的な病理を見透かされ、指摘されているようで、ビクッと身構えてしまう。
特別感、ウザすぎ。身構えるとか言いながら、本心はそんなに嫌じゃないって感じだろうな。「他人に拒絶され、否定されることで、自分の醜さを受容し、肯定することができた。他人から浴びせられる侮蔑や罵倒によってのみ、自分が浄化されていく気がした。」なんて書く奴が、「若いですね」くらいを嫌に思うわけないだろ!!!!!!!!!!!ふざけんなよ、この口だけ異常者が。
それほど僕には、“食べる”という行為が煩わしいったらない。うまく言えないが、僕が“食事をしている”というよりも、僕が“食事という行為に食べられている”という
気がするからだ。
ただただウザい。一般の人と違いますアピールが痛い。コミュニケーションの手段として食事したことが無いのが丸分かりで哀れ。
絶対に自分は子どもに対して、「食事はコミュニケーションや関係性を深めるための大切な行為」として教える。
僕は他の人間が犯した殺人についてとやかく言える立場ではない。山地悠紀夫本人に直接会ったわけではないから、本当には彼のことはわからない、彼の犯行にシンパシーを覚えることもない。
僕が彼に何か引っ掛かるものを感じたのは、犯した罪の内容や少年時代の殺人のためではない。一審で死刑判決を受けたあと、彼が弁護士に宛てて書いた手紙に、胸が締め付けられたからだ。
私の考えは、変わりがありません。
「上告・上訴は取り下げます。」
この意志は変える事がありません。
判決が決定されて、あと何ヶ月、何年生きるのか私は知りませんが、私が今思う事はただ一つ、「私は生まれて来るべきではなかった」という事です。今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、「生」そのものが、あるべきではなかった、と思っております。
いろいろとご迷惑をお掛けして申し訳ございません。
さようなら。
(池谷孝司『死刑でいいです』)
あまりにも完璧に自己完結し、完膚なきまでに世界を峻拒している。他者が入り込む隙など微塵もない。まるで、事件当時の自分を見ているような気がした。
山地は逮捕後、いっさい後悔や謝罪の言葉を口にしなかった。そればかりか、「人を殺すのが楽しい」「殺人をしている時はジェットコースターに乗っているようだった」などとのたまっていた。僕には彼が、ひとりでも多くの人に憎まれよう憎まれようと、必死にモンスターを演じているように見えた。誰にも傷つけられないように、自分のまともさや弱さを覆い隠し、過剰に露悪的になっているその姿は、とても痛々しく、憐れに思えた。
口だけで死にたいとほざきながらも、実際は未成年で死刑を免れてそのままとんずらしたコイツの方が、全然筋が通ってないから痛々しくて哀れだろ。何言ってんの、コイツ。
「僕には彼が、ひとりでも多くの人に憎まれよう憎まれようと、必死にモンスターを演じているように見えた。」ってほざいている本心を言い当てれば、「自分は生粋のモンスターです」っていう自慢にしか過ぎない。
そして、その自慢している内容は嘘である。コイツがどれだけの言葉を用いて、そのイメージを定着させようと試みたところで、コイツが口だけ異常者であることが顕わとなった時点で、何の効果も無い。ただただ哀れである。
必死にモンスターを演じているのはコイツの方だし、山地は死刑を受け入れて死んだという一点において、コイツの「死ぬことよりも生きることの方が怖い」という迷言を吐きながらも死ぬことなくのうのうと生きてる滑稽な様と比較すれば、筋が通っている。
簡潔に言えば、マジでコイツは、「モンスターにもなれなかった、ただの口だけの阿呆」である。どうしようもない程、性根が腐ったクソ野郎である。
山地はどこに行ってもゴミのように扱われ、害虫のように駆除され、見世物小屋のフリークスのようにゲラゲラ嗤われてきたのだろう。彼は彼なりに必死に適応しようと努力したのではないだろうか。“魚が陸で生きるため”の努力を。
コイツ、同類を落として、同類の中でマウントとるなんて、哀れだな。自分の価値を上げようとしてるの見え透いてて、マジで痛々しいわ。
蒼白く貧弱な「少年A」の痕跡がすっかり消えていた。そのことに、安堵と同時に自分でも説明のつかない一抹の寂しさを感じた。
少年Aという肩書きが自分を社会に知らしめてくれるもので気に入ってたからだろ、その寂しさは。
僕は過度にストレスがかかるとしばしば記憶がトンでしまうことがある。
幼少期はストレスかかってなかったのか?嫌な思い出をたくさんほざいてたくせに。どうせ創作だろ、昔のことって。あんなに覚えられるわけないじゃん。
感想⑧:本を書かないという選択をして生きることがコイツの最低限の、殺した者への償いであったのに、たかが「精神が崩壊しそう」になったくらいで、本を書いてしまったのである。本当にクソ野郎だよ、コイツは。
この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべて自業自得であり、それに対して「辛い」「苦しい」などと口にすることは、僕には許されないと思います。でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を摑み取る手段がありませんでした。
コイツは、『自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。』と書いているが、その「生きる道」を選んだらいけないだろ!
殺した人のことを考えれば、その道を選ばずに生きることこそ、償いである。それをしなかったということは、コイツは自分の欲求のままに他人を殺めた頃と何一つ変わってないことである。
「僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を摑み取る手段がありませんでした。」とあるが、コイツは、他人の生を掴み取る権利を奪っておいて、何をほざいてるんだ?ふざけるな!死ぬことと比べたら屁でもないことなのに、その苦しさに耐えきれずに、欲望のままに本をコイツは書いたのである。
あまちゃん、わがまま、自己チュー、コイツは救いようが無いし、罪を償うという意識が微塵もない。
本を書かないという選択をして生きることがコイツの最低限の、殺した者への償いであったのに、たかが「精神が崩壊しそう」になったくらいで、本を書いてしまったのである。本当にクソ野郎だよ、コイツは。
「コイツに書く権利は無い!」と言うつもりは毛頭無い。コイツがすべき選択はこうだっただろうと自分は思う。
①ノートに「絶歌」の内容を書く。
②ノートは家の中にしまい、気を改めて日々生活する。
③元少年Aが死んだ後に絶歌が書かれたノートが見つかる。
この絶歌という本を出版したのはコイツの選択ミスだし、己の欲望に負けたただのクソ殺人者であることを露呈しただけである。コイツの贖罪は、コイツが死んだ後に、コイツの生き様によって評価されるんだから、僕の中では、もう既にコイツは『全然反省してないただのクズ野郎』という評価一択である。
