見出し画像

想いを背負うことの偉大さ

高校時代の友人が、今も現役のプロキックボクサーとして頑張っている。
先日、招待を頂いて観戦させてもらった。

数百人の観客に囲まれたリング。
リングアナウンサーに名前をコールされ、入場してくる姿。
この時点で、鳥肌が止まらなかった。ちょっと涙も出た。

3分3ラウンドという、傍から見れば短い時間。
その中で、剥き出しの闘志がぶつかり合う美しさ。

試合結果としては、残念ながら負けてしまった。

正直、技術や戦略のことはよくわからない。
もしかしたら力の差があったとか、ケガの影響とか、見えないところで色々な事情があったのかもしれない。

だが試合後、彼は一切の言い訳をしなかった。
応援団に向けて、観客に向けて、ただただ「申し訳ない」と、何度も何度も繰り返していた。
試合後の夜にも、LINEで謝っていた。

その姿を見て、また泣きそうになった。

謝ることないじゃないか、素晴らしい試合を見せてもらったぜ!
また頑張るなら、応援し続けるぞ!

そう言いたかった。
だけど、言えなかった。

プロとして命を懸けて戦っている彼に、そんなぬるい言葉が届くとは思えなかった。
彼は、俺みたいな凡人には想像もできないほど多くのものを背負って、リングに上がっているのだ。

彼は自分自身の名前で、スポンサーと契約している。
高校の同窓会にも参加し、積極的に活動している。
試合が決まれば、色々なコミュニティに声をかけていることだろう。

それだけ周囲に働きかけて、負けるわけにはいかないのだ。
「勝ちたい」だけではなく、「勝たないといけない」責任を背負っていると思う。
そんな勝負を、俺は人生で一度もしたことがない。

だからこそ、彼の戦う姿を美しく、尊いと感じた。
俺には一生見られない世界を、少しでも感じさせてくれるから。

その前日、Adoのライブに参戦した。
日産スタジアム、観客は7万人。

曲も演出も素晴らしかったが、それは今回書きたいことではない。
Adoもまた、「背負っている」と感じた。

これまで本名も素顔も公開していなかったAdo。
しかし、最近になって本名を公開したり、横顔をMVで後悔したりと、これまでに比べて「見える」部分が増えている。

それは、「背負う」うえでの覚悟の表れなんじゃないか、という気がする。

ライブ終盤のMCでも、涙ながらに語っていた。
最近もうまくいかない日々があったこと、いつまでできるのかという不安、それでも歌い続ける覚悟。

「ファンがいるから、その想いに応える」
その思いを、強烈に、率直に語っていた。

正面から向き合うからこそ、自らのミステリアス性を徐々にでも放棄し、明らかにする範囲を増やしている。

俺は至極勝手に、そう解釈している。
たぶん、遠くないと思う。

勇気のいることだ。
それでも、「背負う」ために必要とあれば、Adoはそこから逃げない。

他人からの期待を、正面きって受け止められるのか。
受け止めたうえで期待に応え、その先の信頼に繋げられるのか。

どんなささいなことでも構わない。
丁寧に人の期待を受け止め、背負う。

背負える人間と背負えない人間。
自分はどちらでいたいのか?

背負える人間でありたい。
できることなら、より多くの期待を。

そう願うならば、目の前の小さな期待を背負い、応えていく積み重ねしかあり得ない。

「背負う」ことの偉大さを感じるために、人は何かを推し、誰かを応援する。

いいなと思ったら応援しよう!