献血ルームで、祖父に会う。
2025年11月。祖父が亡くなった。
祖父は、几帳面で、頑固で、涙もろくて、義理と人情を重んじる人だった。
そして何より、からだが丈夫だった。
80代後半になっても、自ら畑を耕し、たくさんの野菜を育てた。
冬になると自宅の屋根に上り、自ら雪投げをした。
毎朝の体操が日課だった。
そんな祖父が、急性骨髄性白血病と診断されたのは、2023年の9月頃だった。
そこから約2年間、祖父は入退院を繰り返すことになった。
祖父は、病院でも運動を欠かさなかった。
ペットボトルを使って筋トレをしたり、散歩代わりに病棟の廊下を往復したり。
ほかにそのような患者がいないのだろう。
いつも看護師さんたちが褒めてくれると、嬉しそうに話していた。
それでも祖父は、どんどん弱っていった。
あまりご飯を食べなくなって、体重もあっという間に5キロちかく減った。
2025年9月。子どもを連れて、祖父のもとを訪れた。
一緒に過ごす祖父は、いままでと何も変わらないように見えた。
わたしと祖父が最後に会った日。
病院のベッドの上で、祖父がぽつりと呟いた。
「とうとうわたしも、病気に命をとられるか。」
何も言えなかった。
きっと今日が、祖父に会える最後の日になるんだろうな。
口には出せなかったけれど、そう覚悟した。
そして11月。祖父は旅立った。
わたしが献血ルームを訪れたのは、それからすぐのことだ。
祖父は入院中、治療の一環として輸血を受けていた。
そのときはじめて、「誰かが提供してくれた血液が、実際に治療に使われている」光景を目の当たりにした。
いま元気に生きられている自分の血液が、祖父と同じように白血病で苦しんでいる人の治療に役立つかもしれない。
はじめての献血はちょっぴり痛かったけれど、これまでの人生で経験したことがないような清々しさを味わわせてくれた。
そこまで頻繁に献血できているわけじゃないし、ただの自己満足といわれれば、確かにそうかもしれない。
それでも献血を続けているのは、そこへ行って血液を提供するたびに、必死に生きていた祖父のことを思い出せるからだ。
注射が大嫌いなのに、頑張って治療を受けていた祖父。
予防接種でさえ先延ばしにするような祖父が、まさかあんなにたくさんの注射を耐えていたなんて。
自分の死が近いことを悟って、毎日たくさんの書類と睨めっこしながら、生前整理に勤しんでいた祖父。
祖母や母が、「疲れるからほどほどに…」と声をかけても、やめなかったんだってね。頑固なところは、昔から変わらない。
亡くなる直前、肺炎が悪化して呼吸が乱れているなか、「ひ孫に美味しいブドウを買ってやりなさい」と言い続けていた祖父。
最後に会ったとき、「ブドウ食べたい」って言ってたもんね。秋になったら送ってやるから、って約束、覚えていてくれたんだね。
献血ルームのベッドの上で過ごす30分間は、祖父との思い出に浸れる、特別な時間だ。
献血に行き始めたわたしを見て、祖父はどう思っているのだろうか。
きっと、「キミちゃん、あんたはえらいね~」って、いつもの調子で褒めてくれている。そんな気がするんだ。
