見えないからできないの? やらせてもらえないからできないの?? その2 Invisible Barrior
見えない世界の住人になったボクにとって、「今までに身に付けたスキルの維持工場も、新しいスキルの習得についても、大切なことは、
1 チャレンジング スピリット(挑戦する気持ち)
2 トライ アンド エラー(試行「工夫」と失敗)
3 エフォート(努力)
4 ポジティブ スィンキング(前向きな考え方)
の4点を胸に、コツコツと経験を重ねていくことかなーと考えています。
しっかーーーーし、
この4つの光を心に満たしていても、見えないボクが、「見える世界」の中でなかなか前に進めないなぁと、もどかしく感じることがあるんです。
なぜだろう??
もしかすると、それは「Invisible Barrior」の影響なのかなぁ、と、モヤモヤし始めるボクなのでした。
では、この障壁についてボクなりに考えを整理していきましょう。あくまでも、以下の考えは、ボクの頭の中で整理したことなので、異論反論全く別の視点など、たーくさんあると思いますので、どしどしコメントなどでお知らせくださいね。
お待ちしてまーーす。
さて、〜invisible Barrior〜とは、そもそも何なんでしょうー?
日本語にすると、「見えない障壁」のような意味ですね。ボクがこの名前を選んだ背景には、見える世界の人々と、少なくとも見えない世界に住み始めたボクの間に、心理的、環境的、行動的、社会的な「見えないバリア」を、そこここに 感じることがあるからです。
心理的バリアとは?
この記事では、「見える方々に腫れ物に触るような対応」をされることを心理的バリアの一つの例として取り上げましょう。
最近は、行き慣れた場所や店では、このバリアは薄くなってきましたが、初めての場所や店では、まだまだ心理的バリアを感じることがあります。
これは、見える世界の方々の中には、視覚障害がある人と生まれてこの方接したことがなく、まるでエイリアンと遭遇したかのように
ドギマギしてしまった結果かもしれません。
どうしたらよいか分からなくてテンパってしまったら、どうしても「腫れ物に触るような対応」になりがちですよねー。
一方で、見えない側のボクにも、見える人への心理的バリアがあるのだと思います。例えば、初めて行った店では、「店員さんはボクの伝えた要件を理解してくれるだろうか?」、「必要に応じて、ボクを誘導してくれるだろうか?」、「うまく伝わらなかったらどうしよっかなー」、などと、ドキドキしてしまいます。
心理的バリアは、おそらく、人と人が初めて出会う時には誰にでも生じうる
バリアなのでしょうが、ボクのように障がいがある人と障害がない人が出会った時には、大したことはないことまでお互いに気にしすぎてしまい、「腫れ物を扱う弾道ミサイル」と、「ドギマギした応対防空ミサイル」の攻防になってしまうのかもしれませんね。
こうなってしまっては、ボクがいかにスキルの維持向上や新スキルの習得に向けてチャレンジや工夫を重ねたとしても、周囲から支援や協力を求めにくくなってしまい、思うように前に進めなくなっちゃいますね。
時間はかかりますが、何度も顔を合わせて、たくさんお話をして、お互いに「慣れていく」ことが、この「心理的バリア」を薄くしていく特効薬なのかもしれません。お互いに、「ぶっちゃけ話」ができるような関係になると、緊張しないですもんね
環境的バリアとは?
この記事では、環境的バリアを、「物理的バリア」と、「やりすぎバリア」の2つに分けてまとめます。
見えない世界の住人にとって、どうしようもないバリアの一つは、「物理的バリア」です。簡単に言うと、見えていれば何の障壁もなくできることでも、見えなければ非常に困難なことです。例えば、地方都市にある路面電車の駅です。結構な頻度で大きな通りの真ん中に「停留所」がありますよね?あれは、見える人にとっては、停留所の場所は一目瞭然で容易に行き着くことができますが、見えない人にとっては、どこに停留所があるか見えない、大きな通りを渡らなければならない、などなど、クリアしなければならない障壁がとても多いのです。この物理的バリアは、見えない人にとってはどうすることもできないため、見える人の援助か街などの再設計が求められます。
この「物理的バリア」の解消に向けて、ボクは、見える方々の中にも、見えないがゆえの行動しにくさを 理解できる人が増えたらいいなぁと、心から願うばかりです。そうすることで、すこーーーーしずつ、物理的バリアが無くなっていくのかなーーーー。。。
反対に、環境的バリアの2つ目は、「やりすぎバリア」です。障害者が安全で快適に生活できるように、整備されすぎた環境のことです。
ボクは、障害者関係の福祉、教育関連では、この「やりすぎバリア」がみられることがあるように感じます。例えば、以前に視覚障害者のガイドヘルパーさんと食事をした時のこと、メニューの読み上げ、食べ物や飲み物の注文、小皿への食べ物の取り分け、会計の手配まで全部細やかにやっていただけたんです。
もしかすると、「あーーーーん」
って口を開けていたら、食べさせてくれるんじゃないかなぁとニヤニヤしちゃうくらいの細やかさでした。
とーーーーってもありがたいサポートでしたし、感謝の念でいっぱいになりました。
が、、、、帰宅後に、「こんな至れり尽くせりに慣れちゃったら、今一人でできること(スキル)
もできなくなっちゃうんじゃね?自分で試行錯誤しなくなったら、新しいスキルも身につかないんじゃね?こわくねーぇ?」といった恐怖心にも似た感覚がムクムクと湧いてきちゃったんです。
これは、決してヘルパーさんのサポートの問題ではなく、ボクの「自立観」の問題なのでしょう。ボクは、見えなくなってからも自分のことは自分でやることを基本にしていますが、この事例のようにヘルパーさんに細やかにサポートしていただけると、ついついボクの中の「甘え虫」が活発化して、「やってもらえばいいじゃーーん、、、。」甘えちゃおうぜぇーー?」と騒ぎ出し、ボクの自立観が揺らいでしまったんです。
今回のボクは、何とか「自分でやるモード」
に踏みとどまることができましたが、
例えば、
家族から?学校から?施設から?
ヘルパーさんから?
毎日手厚くきめ細やかなサポートを受け続けたとしたら、ボクの「甘え虫」は着実に成長し、、、
ボクは、何かにチャレンジしたり、トライアンドエラーを繰り返したり、努力を重ねてスキルを獲得したりすることは確実に減ってしまうんだろうなーと自信を持って言えますよ。
だって、、、、やってもらった方が楽だもん!
これが、「やりすぎバリア」の実際です。
まぁ。ボクのように「身に付けたスキルの維持向上と新しいスキルの習得」を狙っていない人には、このバリアは存在しないのかもしれません。逆に考えると、小さい頃から「やりすぎバリア」
の中で暮らしてきた障害者は、「試行錯誤しながら自分でできることを増やす姿勢(自立心)に乏しくなってしまう可能性を含んでいるようにも感じます。これは、怖いことですね。
障害者の近くにいるサポーターの皆さん、「やりすぎバリア」
という言葉を心の片隅に置いてみてください。これから、何かが変わるかもしれません。
行動的バリアとは?
この記事では、「見える人が、見えない人の代わりに行動してしまうこと」 を行動的バリアと呼ぶことにします。
ここで質問です。
前回の記事
見えないからできないの? やったことないからできないの?? その1〜身に付けたスキルの維持向上と、新しいスキルの習得〜
https://note.com/kimikimu/n/n880183388a23
にて、見えないボクがジンギスカンを焼く姿を想像して、「危ないから、心配だから、やめた方がいいんじゃね?」と感じた方は、
「は〜〜〜い!!」
って、声に出して両手を高くあげましょう。
ほら、、、。
ちょっぴり、腕と肩のストレッチになりましたねー。よかったよかった、、、。
あはは。
でも、、、。
「危なくね? 心配じゃね?」と感じた見えるひとは、「行動的バリア」
をボクの前に張ってしまう可能性があるんです。
なぜかって?
「危ないから、代わりにお肉焼いてあげるね?」
「心配だから、焼かなくていいよ。」
って言いながら、見えないボクの代わりにお肉を焼いている光景が見えませんか??
今回は、肉を焼くというちょっと偏った例を上げましたが、日常生活の中のあらゆるポイントで、「危なくね?心配じゃね?」と不安になる場面が生じる可能性があるんです。
そんな時、
見えるあなたは、どこまで代わりにやってあげますか?
1から10まで、全部やってあげますか?
あなたは、いつでも「心配な視覚障害者」の近くにいて、代わりにやってあげられますか?
あなたがいない時、その視覚障害者は直面した困難を自力デ解決できると思いますか??
最後の問いへの答えは、
残念ながら、、、
「ノー」
ですね。
だって、見える人が、代わりに先回りしてやってしまった結果、見えない人は、やったことがないので、直面した困難を自力では解決できないのです。
これが、ボクが考える「行動的バリア」の最も怖いところです。「行動的バリア」の中で守られたままの生活を送り続けると、近くに「代わりに困難を解決してくれる優しい青眼者」がいる時はハッピーでいられますが、一人で「ハッピー」を維持ズルことは難しそうですね。
「行動的バリア」から抜け出すポイントになるのは、
1 その障害者が、どの程度の意欲と能力と粘り強さを持っているのかを周囲が把握する。
2 その障害者に、「自分で困難を解決できるようになりたいか」、共通理解を図る。
3−1 その気があるのなら、トライアンドエラー、工夫、努力を重ね経験を積みつつ、ポジティブな言葉を重ねる。
3−2 その気がない場合は、周囲に積極的にエンジョイらいする。
になるのかな。
障害当事者の「やってみたい。」という気持ちと、健常者の「やってあげるのではなく、自分でやらせてみよう。」という気持ちが重なることで、このバリアは無効化されていくように感じます。
社会的バリアとは?
最後に、見える世界と見えない世界の間に
感じるバリアが、「社会的バリア」です。
これは、言い換えると、「見えないからやらせてもらえない。だって、見えないと、できないでしょ?」と、周囲に思われてしまうことです。
正直に言うと、これが一番辛いですねーー・だって、周囲からあきらめられちゃったのと同じことですから、、、。
そして、このバリアは、実は、
1 心理的バリアの「腫れ物に触るような扱い」
2 環境的バリアの「やりすぎバリア」
3 行動的バリアの「できないんだから、代わりにやってあげるという考え」
と根っこでつながっているのではないかと思います。
「見えないからできないでしょ?との考え。(社会的バリア)」 = 「見えないから、どう関わったらよいか分かんない。だから、腫れ物を扱うような対応になる。(心理的バリア)」 + 「見えないから、ついつい過保護や過干渉になる。(やりすぎバリア)」 + 「見えなくてできないから代わりにやってあげる。(行動的バリア)」
というように、社会的バリアは、他のバリアの複合体のようなもので、結果的に、「見えないからできないでしょ?」という考えがまかり通ってしまうのかなと、ボクの頭は整理されてきています。
でもね、、、。
ここできちんと記しておきたいのは、
もし、そういう状況からスタートするとしても、ちょこっとっずつでも改善の見込みはある。
ということです。
例えば、最近行きつけになったローソン。
最初は、ホントに「心理的バリアの塊」みたいな対応でしたが、しばらく通い続けていくうちに、店員さん方がボクの対応に慣れ、ボクもまた、店員さんにお願いするコツを捕まえてきた気がします。
ね?
見えなくても見える世界の中で
チャレンジして、
失敗して、
工夫して、
努力している
そんな奴もいるんだと、見える世界の人々に知られれば、ちょこっとずつかもしれないけれど、「社会的バリア」は、薄くなっていくのかなぁと期待しているボクなのでした。
うーーーん、、、。
バリアを薄くしていく方法は、他にもあるのかなぁー?
見えないからできないの? やらせてもらえないからできないの?? その3 〜Invisible Barrior〜をやっつけろー!! に続く、、、

