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うちの親子は、優しさの言葉遣いが少し雑だ




うちの子どもたちは、たぶん優しい。

ただし、優しさの言葉遣いが少し雑だ。

「大丈夫?」と綺麗に聞くというより、

「それこぼすよ」
「いや、危ないって」
「何してんの」
「ちゃんとすすった方がいいよ」

みたいな感じで出てくる。

心配しているのか。
けなしているのか。
からかっているのか。

正直、よくわからない時がある。

でも、たぶん心配はしている。

娘を迎えに行った時も、そんな会話をした。

学校のテストの話。
YouTubeで勉強する話。
私が昔ながらの授業じゃないと頭に入りにくい話。
「それ覚えたら、ママにも説明できるようにしておいて」と言った話。

娘は娘で、淡々と答える。

私はそれを聞きながら、
「大丈夫って言えるの、すごいね」
と思った。


私は今に限らず、自分に対して「大丈夫」と言うことがかなり難しい。

だから、テストを前にして「大丈夫」と言える娘を、普通にすごいと思った。

別の日には、こんな話もした。

病気になると、優しい言葉が優しく聞こえなくなることがある。

本当は相手が心配してくれているのに、
責められているように聞こえる。

何気ない一言が、
トゲみたいに刺さることがある。

そういう話をした。

娘は黙って聞いていた。

たぶん、どう返していいかわからなかったのだと思う。

でも、聞いてはいた。

その後、娘はこんなことを言った。

『怒っている時や疲れている時は、
その時の感情でいっぱいになって、
人の声が入らなくなることがある。

でも、それは永久に続くわけではない。

一度、手で書いてみるといいことがある。

書いているうちに疲れる。

だるくなって、
「もういいか」
と思えることもある。

あとで見返すと、
「あの時、こんなこと思ってたんだな」
と思える。』

私はそれを聞いて、少し驚いた。

娘は娘で、自分なりに感情との付き合い方を持っていた。

私は娘に言った。

「それ、プロの受け答えなんですよ。
相談支援業務イケるんじゃない?」

人の話を一度受け止めること。
すぐに否定しないこと。
必要なら、相談先をすすめること。
でも、無理に背負いすぎないこと。

そういうことが自然にできるのは、すごいことだと思う。

もちろん、娘は相談員ではない。

娘に私の全部を背負わせるつもりはない。

親のしんどさを、子どもに抱えさせてはいけないとも思っている。

だから、私は外の相談先にもつながっている。

でも、日常の中で、
娘とそんな話ができること自体は、
とても大事なことだと思った。

息子も息子で、言葉はかなり雑だ。

きれいな言い方ではない。

でも、ニュースを見て、
妹の通学や生活圏を心配していることがある。

ヒグマの話。
地域の話。
学校の友達の住んでいる場所の話。

言い方は雑でも、
見ているところは見ている。

心配しているのに、
そのまま「心配してる」とは言わない。

ちょっと茶化す。
ちょっと口が悪い。
でも、気にしている。

うちの子どもたちは、そういうタイプなのかもしれない。

そして、たぶんそれは私にも原因がある。

私自身、子どもたちに対して、
いつも柔らかく優しい言葉を使ってきたわけではない。

「あら、大丈夫?」
「つらかったね」
「無理しないでね」

みたいな、綺麗な優しさの家ではなかった。

ツッコむ。
笑う。
からかう。
心配する。
文句を言う。
でも、なんだかんだ気にしている。

そういう会話でやってきた。

だから今さら、
子どもたちだけに完璧な優しい言葉を求めるのは、
少し違うのかもしれない。

うちの親子は、
優しさの言葉遣いが少し雑なのだ。

でも、仲が悪いわけではない。

会話はある。

テストの話もする。
簿記の話もする。
お菓子の話もする。
紅茶の話もする。
ヒグマや毛虫の話もする。
「かわいい」は世界共通言語だ、なんて話もする。

時々、口は悪い。

でも、意思疎通はできている。

心配もする。
心配もされる。

ただ、私に余力がない時は、
その雑な優しさが、うまく受け取れないことがある。

普段なら笑える言葉が、
トゲになる。

からかいに聞こえる言葉が、
刃みたいに刺さる。

それは、子どもたちが急に悪くなったからではない。

私の受け取る力が、かなり落ちている時があるのだと思う。

同じ言葉でも、
受け取る側に余力がある時は笑える。

でも、余力がない時は傷になる。

最近、そのことをよく考える。

子どもたちは、私を完璧に支える存在ではない。

支え役にしてはいけない。

でも、日常の会話の中で、
確かに私をこちら側につなぎ止めていることがある。

娘を迎えに行くこと。

テストの話をすること。

「簿記を覚えたらママにも教えて」と言うこと。

息子の口の悪さにツッコミを入れること。

お菓子を買うこと。

紅茶が美味しいと言うこと。

こぼすなと注意されること。

そういう小さな会話が、
私の日常を作っている。

うちの子どもたちは、
優しさの言葉遣いが少し雑だ。

そして私も、きっとそういう親だ。

でも、その雑さの中にも、
ちゃんと心配はある。

愛情もある。

不器用で、口が悪くて、
時々トゲにもなるけれど。

それでも私は、
この子たちを可愛いと思っている。

私の可愛らしい娘と息子。

今日も、言葉遣いは少し雑だけれど、
ちゃんと会話は続いている。

ちびっこな頃

#CoinBridge (コインブリッジ)
構造を言語化し、現場と制度をつなぐ

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