6月29日(月)、第2844回、「嫌われた、の正体」
心というものは、
「事実」より先に、傷つく。
わたくしたち人間は、
「事実」を見ているようで、
実は見ていません。
例えば、
職場で上司に朝の挨拶をした。
いつもなら笑顔で挨拶を返して
くれるのに、
今朝は目さえ合わせてくれない。
「事実」は、上司は考えごとを
していて挨拶に気づかなかった
だけなのですが、
「わたくしは嫌われたのでは?」
と。
見ているのは、
これまでの人生で築き上げた、
わたくしなりの「解釈」。
ですから、
ひとは、
「事実」に傷つくのではなくて、
自らの「解釈」に傷つく。
そうであるならば、
ひとを傷つけると言う観点で、
「事実」がどうであったかは、
さほど重要にはなりません。
その方が、
どんな解釈をしそうなのかを
考える。
それを、この世の中では、
「思い遣り」
と言っているのです。
乃至法界平等利益
感謝、合掌
慈永
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