【プレミアリーグより10km以上多く走る日本】 −走るサッカーの呪縛を解け−
序章|日本は「走りすぎている」
「走るサッカー」は、日本サッカー界において長く美徳とされてきました。「最後まで走りきる」「走ることでチームに貢献する」「泥臭さこそ日本人の強み」。そんなフレーズが当たり前のように聞かれる現場において、走ること=正義という価値観は、今なお根深く残っています。
この“美徳”が明確に表舞台に現れたのが、2006年のイビチャ・オシム氏の日本代表監督就任以降です。オシムは、スター選手依存からの脱却を目指し、走れる選手・献身的な選手を優先的に起用しました。千葉時代から連れてきた羽生直剛、佐藤勇人、山岸智らを代表に招集し、メディアも「走るサッカー」として好意的に報じました。
たしかに、この方針は当時の閉塞した日本代表に風穴を開けました。試合に動きが生まれ、流れができる。見ていて面白いサッカーでした。しかし、それは“本来の意図を理解し、実践できる選手がいたからこそ”機能したものであり、「ただ走ること」が本質ではありませんでした。
ところが、その後の日本サッカー界は、「走れば良い」「走らせれば良い」という誤解に陥ってしまいます。そこから生まれたのが、“考えない走り”=“空回りするインテンシティ”の文化です。
第1章|「走る」は手段のはずだった。なのに目的になってしまった
オシムは、走ることを一つの手段として用いました。
その狙いは、「考えるために、動けるようになること」。彼は言います。
「走ることでしか見えないことがある。疲れたときの判断、仲間を助ける動き、それらが試合を決める」
つまり、走ることによって、初めてサッカーが“共同作業”として機能するという哲学でした。
加えて、オシムは常に選手に「自分で考えろ」と問い続けました。
ポジション、立ち位置、味方との関係、相手の裏、スペース…。すべてに“意味”を持たせることを求めたのです。
ところが、日本サッカー界が受け取ったのは、そうした複雑な問いではなく、「走る=偉い」という単純な価値観でした。
走らない選手は「さぼっている」と言われ、賢く立ち位置を取る選手よりも、頑張って走り回っている選手が評価される。こうして本来オシムが最も重視していた“思考する力”は、皮肉にも「走るサッカー」の影に隠れていくことになったのです。
その結果、ピッチ上では“意味のある走り”ではなく、“評価されるための走り”が横行するようになってしまいました。
第2章|プレミアより10km多く走っているJリーグ
実際の数字を見てみましょう。
プレミアリーグ:1試合平均105〜110km(チーム合計)
Jリーグ:1試合平均115〜120km、多いときは125kmを超えるチームも
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